夏特有の湿気を孕んだ風が東の空から流れ込み、みるみる薄暗くなる最悪の空模様。
不穏なBGMと共に天を覆いつくそうとする黒雲を仰ぎ見て、あたしは舌打ちをひとつ。
自宅はまだまだ遠く、両手に抱えた荷物は水濡れ厳禁傘の持ち合わせもなし。
どこかでビニール傘を調達したくてもあいにくここは住宅街、コンビニもなく雨宿りできるような場所もない。
ねーちゃんから預かった荷物を濡らす訳にはいかない。
ないよりマシだと上着を脱いで荷物にかぶせたのと、大粒の雫が頬に落ちてきたのはどちらが先だったか。
ポツッ。
ポッ、ポッ・・・タタタタタッ・・・・・・!!
一旦降り出すと早かった。
「ったく、ついてないったら!!」
少しでも濡れない様に身体で荷物を庇いつつ、あたしはひたすら全力疾走。
どこでもいい、雨宿りできる場所はなかったか!? ・・・そうだ、もう少し先の公園!!
あそこには大型の滑り台が設置されていた、そして内部はトンネルになってた筈!!
ばたたたたたっ!!!!!!
天から礫のごとく叩きつけられる雨粒は肌に痛く視界をも奪う。
目にも雨水が滲んでまともに開けられない。髪も背中も既にぐしょ濡れだ。
「ああっ、もうっ!!」
腹立ち紛れに叫べば口と鼻にも飛び込む冷たい雨、滴りを吸い込み鼻の奥がツンと痛む。
・・・ふいに潮の香りがした。
土砂降りの雨と立ち上る土の匂いに負けない強さの、濃厚な海の匂い。
なぜ?と思う間もなく、誰かに肩を捕まれた。
「こっちだ!」
投げかけられた見知らぬ男の声と、あたしを促す力強く熱い腕。
普段ならそんなものに付き合うなどありえない。
けど、この時のあたしはなぜか抗う気にならなかった。
まっすぐ前へ前へとあたしの肩を抱いたまま進むそいつの足取りに迷いはなく、目指す先には件の公園。
ぬかるむ土と泥水を跳ね上げながら、やっとの思いで滑り台にたどり着いた。
「先に入れ」とトンネルに押し込まれて、とりあえずコンクリートの筒に膝をついて潜り込んだ。
万が一、こいつが何か企んでいたとしても反対側にも出口はあるし。
狭い洞内を四つんばいで進む。とっさに口に咥えた荷物は予想よりも濡れておらず、なんとか中身も大丈夫そうだ。
安堵の溜息を吐いたあたしは、少し奥まで進んだ所で男がついてきていない事に気づいた。
振り返ってみても誰もおらず、外は相変わらず激しく雨が降っている。
「・・・・・・なんだったんだろ」
一人になって、急に身体から力が抜けた。
とりあえずその場に腰を落ち着けたけど、今度は濡れた衣服の感触に顔をしかめる事となった。
今まではそんなの気にする余裕がなくて忘れてたけど、荷物を抱きかかえて庇っていた部分。
つまり、胸からお腹にかけて以外はプールで一泳ぎしてきたのかって位にびっしょびしょのずぶ濡れだ。
幸い気温が高いのですぐに風邪をひいたりはしないだろうけど、体温で微妙に温まり纏わりつく下着の感触が気持ち悪い。
「あーあ。 ついてないわね・・・」
荷物こそ無事だったけど服も髪もびしょびしょのぐちゃぐちゃ、家まではまだ距離があるわ、
携帯は部屋に置きっぱなしだから家族に助けも呼べないし。
空には分厚く重苦しい黒雲で埋め尽くされたまま時折雷すら鳴る始末で、とても外には出られやしない。
こんな時、ドラマだったら誰かが助けに来てくれたりするんだけど・・・。
上着を絞りながら、ふとご都合主義な展開を想像しちゃったりして。
「おい」
ほら、こんな風に。
「おーい、聞こえてるかぁ?」
「ふぇっ!?」
「おっ、いたいた。もう居なくなってたらどうしようかと思ったぞ? ほら、これ」
声のした側の入り口から、いきなり大きな包みが差し入れられて。
「え?」
とりあえず受け取ったら、スッと青い色が入り口を覆い塞いでしまった。
「中にタオルと着替えが入ってるから使えよ。そのままだと風邪ひいちまうからな」
「え、えと。すっごく助かるんだけど。その・・・」
見ず知らずの人にここまでしてもらっちゃっていいんだろうか。
「早くしないと誰か来ちまうぞ? ほら、オレが見張っていられるうちに着替えちまえ」
促す声にハッと顔を上げて、入り口を塞ぐ青い色が男の背中なのだと気づいた。
シャツなのだろう薄い生地はやはりずぶ濡れらしく、男の肌にぴったりと張り付いている。
「借りちゃってもいいの?」
「構わんさ。女の子は身体を冷やしちゃまずいんだろ?」
何がおかしいのか、青い男は小さく笑ったようだった。
「じゃあ、遠慮なく」
包みに手を突っ込むと、柔らかな水色のスポーツタオルとかなり大きめのシャツが入っていたので
髪や身体をざっと拭いて、急いでシャツを被り濡れた服を脱いだ。
さすがに下着までは脱げないのでそのままだけど、冷えた体に乾いた衣服の肌触りはとても心地よく、シャツから香るは海の匂い。
彼はサーフィンでもやっているのだろうか?なら濡れる事に抵抗がないのも頷けるんだけど。
「ありがと、助かったわ」
着替えを終えて、男に声を掛けた。
あくまで直感なんだけど、彼はたぶん善人なのだと思う。
いや、良くある困ってる女の子を助けて恩売っといて云々って雰囲気じゃないんだもん。
「どういたしまして。じきに降りも弱まる筈だから気をつけて帰れよ」
スッと、男が遠ざかっていく。傘も差さず雨に打たれながら。
「・・・あ」
礼を言うつもりで口を開きかけたあたしは、彼の全身像を見て絶句した。
背は高く均整の取れた体格と豊かな量と長さの金色の髪。・・・・・そこまではいい。
問題は、彼の全身を包む超ぴっちぴちの青いタイツスーツと頭に乗ってるクラゲを模したらしい被り物。
やたらめったら引き締まった体つき故に、筋肉の筋までが貼りついたタイツの上からも見て取れて。
・・・ええと、臀部のエクボまできっちりしっかり判っちゃうんですけど。
つまり、あたしはあんな格好の男に豪雨の中エスコートされちゃって、あまつさえ服まで借りちゃったって事!?
「へ・・・へんたい、だ・・・」
ドラマの世界から非常識の世界にまっ逆さま。
「へんたいって、そりゃひどい。 これでも正義のヒーローのつもりなんだがなぁ」
あたしに背中を向けたまま、タイツスーツ男は片手を上げて頭を掻くと
「じゃあ、また今度なっ!!」爽やかに笑って雨幕の向こうに走り去っていった。
「こ・・・今度ですって!?」
呆気に取られたあたしの前には、いつ置かれたのか水玉模様の傘が一本。
これも奴の仕業かと恐る恐る手を伸ばすと、やはりそこからも磯の匂いが強く香る。
よくよく観察すると、模様は水玉ではなく細かなくらげのイラストがずらりと並んでいて。
「・・・へんたい、くらげ男」
ぼそっと呟いた呼び名がその後、ちょっぴりアレンジされて巷を賑すようになるだなんて、この時あたしは知る由もなかった。
Fin
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