「また、でございますか…」
何時もの伝言約の男は歯切れ悪くそう言った。
そうだ。と短く答えると枝で灰をつつく。
勢いを増した火を眺めながら、切ないため息をついた。
これで何度目だろうか…約束を破るのは…
可愛い娘。
大事な大事な宝物。
死んだ妻によく似た面立ち、声。
成長すればするほど愛おしくなる。
あれはいつのことだっただろう?
…火の中に紙の束を放り込みながら思い出していた。
そう、確かあれが12になった日のことだ。
祝いの品にと着物を贈った。
嬉しそうにはにかんだそれが、一瞬死んだ妻と重なった。
『父上』と呼ばれることに違和感を覚えた。
何を…とその時は思ったが、徐々に理解した。
恋だ。
初めて妻に会ったときと同じ気持ちを、娘に抱きつつある…。
危険だ。
そのうち避けるようになった。
あれに会わなくていい理由を探し、なければ作る…。
それでも一目会いたくて、夜中にこっそり屋敷に出向いたこともある。
病気の静養のため、妻に与えた屋敷だ。
彼女が亡くなったのち、本亭で一緒に住もうと言うとリナは泣いた。
母上の匂いが残るこの屋敷がいい…と。
仕事なんて放り出して一緒にいたかったが…そもういかず、結局離れ離れの生活となった。
それでも、上手くいっていたのだ。
気づいてしまうまでは…。
はぁ。と息をついたところで、後ろの気配がまだ動いていないことに黒髪は振り向いた。
「ん?何だ、まだいたのか?」
「はい…あの」
「あん?」
「本当に宜しいのですか?」
確かめるような口調に、仕方ねぇだろときつく返してまた紙の束を火に入れた。
「…わかりました。では失礼いたします」
諦めたのか足音が去っていく。
リナはガッカリするのだろうか?
それとも、こんな薄情な父などにもう何も期待していないのだろうか…
嫌われたく無い。
可愛い…可愛い娘。そう…娘。
「なんでかなぁ…なんであいつにあんなに似ちまったんだか…」
一つでも違えば…こんな感情は湧かなかっただろうか?
髪の色、目の色、姿形…頭の中で変えてみたけれど愛おしいことに変わりはない。
はたしてこれが、娘へ対する愛なのか…あれの母親に対するものと同じものなのか…確かめようとは思わない。
初めてこの気持ちを感じたあの日から、また大きく美しく成長したそれに会うのが怖かったから…とも言える。
どうしたものかと、癖になった息を吐いた。
その日の夜だった。
リナの屋敷から、使いの者がやってきたのは…。
微かに香の匂いのする文を開く。
軽やかに美しい文字が並んでいた。
そこに書かれていたのは、季節のあいさつ、夜分に文を送ることへの謝罪、そして…会えずさみしいということ。
心臓が鷲掴みにされるくらい苦しい。
それなのに、まだ自分を恋しがってくれる娘が愛おしい。
そうして読み進めていくうちに…彼は驚愕に目を見開いた。
「…鬼…だと?」
手紙には、鬼がほしいと記されていた。
父上になら用意できましょう。されど…もし鬼が手に入らぬと言うのならば…父上のお声でその旨を聞きたい。
会いたい。
リナはそう言っているのだ。
今すぐ屋敷を飛び出して駆け付けたい衝動に駆られる。
しかし…この胸の高鳴りとよく似た高揚感を思い出し…彼は首を振った。
この気持ちはあの時と同じだ。
筆不精な自分が何度も恋文を送り…初めてリナの母親から返事が来た時と同じ。
「…いかん…益々これは駄目だ…」
そう思うと足が止まる。
そして、なんとか鬼を用意できないかと…思案の日々が始まる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ほぼ日課になっている焚火。
今日も今日とて紙の束を炎に投げ入れる。
一欠けらだって燃え残らないように枝で突いていると…
「何を燃やしてんだ?」
屋敷の主に対してやけに馴れ馴れしい声。
声に聞き覚えはないが、気配には覚えがあった。
振り返ると記憶とは違う…黒髪の男が縁側から見下ろしていた。
「なんだ、随分久しぶりじゃねぇか?」
「んぁ…あー…って言うか、覚えてたか?」
「当たり前だ。その目つきの悪さは忘れねぇ。姉上にそっくりだ。髪はどうした?」
「あぁ、これか?”あっち”で染めた」
目つきの悪いそれが言う”あっち”の意味を男は知っていた。
そうか。と呟くと傍らにあった最後の紙の束を火に入れ立ち上がる。
「で?何の用だ?」
「ちょっとな…厄介なことになって。あんたの身分を借りて買いたいものがある」
庭から廊下へ上がり、奥の部屋で話を聞くため移動する。
途中見かけた女中に茶を頼むのを忘れない。
「ま、座れ。それにしてもよく入ってこれたな?」
「…その辺はまぁ…色々あるな。あっちに比べれば楽に侵入できる。壁は低いし鍵も無い」
「ほー。あっちの事情は知らねぇが…生きててなによりだ」
「それにしても…」
目つきの悪いそれは一瞬言葉を止め…吐いた。
「アンタは化け物か何かか…やっぱり?」
「あ?」
「…俺がガキの頃に見た姿と全く変わってねぇな…」
若づくりという自覚はある。
が、化け物は心外だ。
しかし、そうか…と彼は口をつぐんだ。
愛しい娘が生まれた年に…これはあっちに連れて行かれたのだ…それだけの歳月が過ぎたということだ。
「…で?話を戻すが、俺の身分で何を買いたい?」
今更、あの時何もできなかった自分に対する復讐で来たのではないことくらいわかる。
すると男…ルークは言った。
人を一人買いたいのだと。
あっちで世話になった屋敷のバカ息子だそうだ。
「船から落ちやがって、運よく助けられたのが奴隷船だった」
「はーん…」
「調べたらこの国に向かう途中だってわかって…先回りしてきた」
「…異国の奴隷っつったら贅沢品…貴族の中でも金持ってるやつしか買えねぇか…」
「あぁ」
「お前、そいつを何で助けたい?誰かに仕えるとかそんな性格じゃねぇだろ?」
聞くとそれは微かに笑ったようにみえた。
すぐ後にはめんどくさそうに肩を竦める姿に変わっていたが…
「恩は返す主義なんだよ」
ふむ…と考える。
これはなかなか良い話かもしれない。
「なぁ…」
「ん?」
「そいつ…やっぱあれか?異国人ってんだから、見た目は変わってるか?」
「…まぁ、そうだな。」
そうかそうかと頷く。
かくして…偽鬼の準備はできた。
それから、それから…
「失礼いたします」
女中が声をかけ深々と頭を下げる。
ルークとの打合せも済んだ正午過ぎの事だ。
奴隷船が港に入るのは約10日後。
既に手を回し、金の髪の大男がいれば売ってほしい旨の文を書いて送った。
まぁ、生きていればの話だが…と思ったそれに答えるようにルークは笑った。
『あの馬鹿なら肥溜めみてぇな環境でも、へらへら笑って生きてるだろうさ…』と。
いったいどんな男なのか。
そこまで考えて…ふと嫌な予感が走った。
男。
そう、男なのだ…恐ろしい鬼と偽っていたとしても…大事な娘に近付けていいものだろうか?
不安に似たそんな思い。
本当にその男を娘に会わせて平気なのか…
それを聞こうと口を開きかけたところに、先の女中が声をかけたのだ。
「何だ?」
「帝より文が届いております」
「………」
「タリム殿の遠縁…ジェフリー殿からも文が…」
みるみる不機嫌に染まる顔をルークは見ていた。
隣に座る、武官はやれやれといった表情で肩をすくめる。
「…なんだ…」
悪い知らせか?と聞こうとしたルークの前で、女中から文を受け取ったそれは…すっと立ち上がる。
「俺に対する嫌がらせとは良い度胸だ…悪ぃ…ちょっと火焚いてくる」
「火?」
首をかしげたが答えはせず、庭に下りていく。
そういえば、この屋敷に来てから…あれは毎日のように庭で焚火をしていた。
疑問に思うルークに武官が口を開いた。
「文を燃やしていらっしゃるのです…」
「文?」
「えぇ…一つは…姫様宛に届いた…恋文でございます…」
なるほど。と頷く。
娘を溺愛している奴らしいと思う一方で『おいっ』とツッコミを入れたいくらいの勘違いも多々あったが…
覚えている限り、人の意見など聞かない男だったので黙っていた。
記憶に残る母も言っていた。
一度こうと決めたら徹底する男なのだと。
そうなると周りが見えなくなり、微妙に間違った道に突き進むのだが…それが可愛いから放っておくのだと。
大の男を可愛いとは思わないが…大本の道からそれるような感じではないので口をつぐんだ。
第三者意見としては、この男の愛は…娘に対するものであって、本人が危惧している種類ではないとおもう。
が、本人がそれを理解しない以上は何を言っても結局無駄なのだ。
「んで?一つは姫さん宛てとして…もう一通は何なんだ?」
「帝からの文でございます…」
「…そんな偉い奴の文…中身も確かめず燃やしていいのかよ?」
「まぁ…中身が分かるからこそ…燃やさずにいられないのかと」
は?と首をかしげるルーク。
困ったように笑う武官。
「…何と言いましょうか…以前、帝が姫様を妾にしたいと所望したのです」
「あーそりゃブチ切れただろ…」
「えぇ。それはもう烈火のごとく」
目に入れても痛くないほどの溺愛っぷりを見れば瞬時に想像できる。
嫁に出すのすら嫌で嫌でたまらないのに…”妾”なのだから怒りは凄かったことだろう。
「…それで、命を賭けてでも止めようとした我らを振り切り…」
「ん?」
「帝を…殴っておしまいに…」
「………え」
刀まで持ち出していたそうだ。
アレは本気で首を撥ねる気だったに違いないと、震える武官。
「…で、そのことで帝と揉めてると?」
「いえ…そのことで…帝が目覚めてしまったようで…」
目覚める?何に?と顔に出ていたのだろう。
「…男色でございます…」
「つーとアレか?燃やしてるのは姫さん宛ての恋文と………」
「えぇ…」
「そりゃ…喧嘩売ってるとしか思えねぇな…」
しばらく待って庭から戻ってくる男に、ルークは声をかけた。
「お疲れ…」
「…いつものことだ」
Fin
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