目の前にいる彼女が幻では無いと確かめたくて何度もその唇に触れた。
リナが『いい加減恥ずかしいわ!』とスリッパを握るまで。
ぜぇはぁと肩で息をするそれは、掘り起こした記憶と変わらず鮮やかに俺の前にいた。
「帰って来たんだな…」
本当に…もう何処にも行かないんだな…頬を撫でると、くすぐったそうに目を細めた。
「お帰り、リナ…」
「ただいま…ねぇガウリイ…?」
「ん?」
「ありがとね…」
俺を見上げはにかむ。
あぁ…何もかもが懐かしく愛しい。
交わす言葉は少なくても想いは十分過ぎるほど伝わってくる。
どちらからともなく、唇が近付いた時だった…
「にゃーーーっ!」
大きな鳴き声がしてふと足下を見れば俺の足に伸び上がり…にゃごにゃごと何か訴えるそれ。
「…猫?」
と瞬きすると、リナは屈み込み手を伸ばそうとしたのだが…それはシュタッ!っと距離を取ると毛を逆立てた。
「おい…どうした?」
「うみゃう♪」
俺が手を伸ばせば小さな頭を押しつけてくるのだが…リナが少しでも触れようとすれば『フハーッ!』怒るのだ。
「…あたし嫌われてる…?」
「いやぁー…」
何でなんだろうな…と俺も苦笑いするしかなかった。
リナに対して敵意むき出しのそれは…少し変わった猫だった…
「実はさ…」
威嚇を続けるのを抱き上げて背を撫でる。
彼女によく似た栗毛。
「ちょっと思ってたんだリナの幻を見るたび…こいつが人に化けて出て来てるんじゃないかって…」
「何よそれ」
クスクスと笑う。
だってそう思ったって仕方ない。
この町にやってきて…家を買ったすぐ後に栗毛の猫がやってきた。
何故か居着いた猫は何年かするとふらりと消え…しばらくするとよく似た子猫が自分の居場所を知っているかの様に我が物顔で膝の中に入って来て…
気がついたらすっかり馴染んでいる。
実はこいつで3代目の猫だった。
そう言うとリナは不思議そうに俺の腕の中を覗き込む…
「随分物好きな猫なのね…」
「ふみゃっ!」
その言葉には同意するように鳴くそれ。
「酷いなぁ…」
「猫にもくらげだってバレてるのよ。そう言えば、この子名前は何?」
「え?」
「…いや『え?』じゃなくて…」
名前、名前ー?…首を傾げる俺。
まさか名前つけて無いの?とぢと目で俺を見るリナと…腕の中の猫。
「………」
えぇっと…そんなコト考えたことも無かったのでははっと乾いた笑いを漏らし頬をかいた。
リナは大きな溜め息をつくと、厄介なのに懐いちゃったわねと微笑み、そして俺を見上げた。
「ねぇ?」
「ん?」
「名前、あたしがつけちゃダメ?」
「え…俺は別に構わないけど…」
腕の中の猫は承知するだろうか?
ちらりと見るとまんまるの大きな目がじーっとリナを見ていた。
尻尾がぴこぴこと揺れた。
リナは笑うと猫の頭をそーっと撫で…
「そうねぇ…今日からあんたは『キィ』ね」
先ほどまでの威嚇が嘘のように大人しく撫でられていたそれは、みゃおん♪と一声鳴いた。
名前と言うのはいつだって…何かの鍵なのかもしれない。
俺の鍵は『リナ』
もう二度と失くすことのない…大切な人。
Fin
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