移動の車内。
スタジオに近づくにつれ顔が崩れていくのが解る。
待ちに待った仕事。
昨夜はあまりの嬉しさに眠れず、眼の下にクマを作って今朝ルークに怒られた。
が、そんなことはどうでも良い。
なぜなら、彼女に会えるのだ。
同じ仕事が出来るのだ。
堂々と抱きしめることが出来るのだ。
嬉しくないはずがない。
にへら。と顔が緩んでも仕方がないと思うのだ。
「おい」
運転席から無愛想な声。
かっちりとしたスーツが似合わないそれは、一応マネージャーのルーク。
ルームミラーに眼をやればこちらを睨んでいるのがわかる。
「もっと顔引き締めろ」
そうは言われても仕方が無いじゃないか。
彼女のことを思うだけで―――
「と、止めてくれ!!」
急に大声を出した俺に驚いたのか、急ブレーキを踏むルーク。
車が完全に止まらぬうちにドアを開ける。
「おい!?」
慌てた声と、クラクション。
それに構わず反対車線を横切り見かけたそこに直行する。
甘い匂いが鼻をくすぐるそこは、洋菓子専門店”アトラス”前に同じ仕事をした時、彼女が食べたいと言っていた店だ。
しかし、店の前には長い行列。
最後尾がまったく見えない。
「……うーん」
ルークが車を駐車場に入れて連れ戻しに来るまでに買わないと…そう思っていると、俺に気が付いたらしく小さくざわつく店前。
列の伸び具合を確認しに出ていたらしい店員が背後から声をかけてくる。
「お客様、最後尾はあちらになりま……っが、ガウリイ=ガブリエフぅ!?」
彼女がそう叫んだとたん、今まで声が出なかったらしい人たちのものすごい奇声。
思わず耳をふさぎそうになるのをこらえて愛想笑い。
ここで彼女達を味方に付ければ、お目当てのものを買えるかもしれない。
「あぁ、騒がせて悪かったね…」
少し寂しげに笑ってみる。
瞬時に表情を作り変えるのは仕事上得意だ。
「と、ととと当店に、ななななな何かごよごよごよ…うでしょうか!?」
「あぁ、友人がとても美味しいと言っていたのを思い出して…」
長く伸びた列…特に最前列あたりのお客に向けて微笑みかける。
後一押し。
「…でも、あまり時間が無いんだ…買うのは無理みたいだね。」
残念だよともう一度笑みを見せ、立ち去ろうと背を向けると、
「あ、あのっ!」
やった!!
「ん?なんだい?」
「あの、ど、どうぞ!私達が順番、譲ります!!」
「でも、ずっと並んでいたんだろう?悪いよ。」
「そ、そんなことありません!私達大ファンなんです!!是非譲らせてください!」
頬を赤く染め俺を見上げるファンの少女達。
多少罪悪感を感じるのだが、そこはそれ、彼女の笑みを思えばへっちゃらだ。
それに、嘘は付いてない。
ありがとうと、順番を譲ってくれた少女達と握手し店内へ。
お目当てのアップルパイを買い占め店を出ると、仁王立ちのルークが待っていた。
流石にファンの前で怒鳴るようなことはしないものの、乱暴にアップルパイの箱を奪い取る。
車に戻ってスタジオに向かう途中は、烈火のごとく怒り狂ったルークの説教タイムだったのだが…
「んーーーっ、美味しい♪」
この笑みの為なら、ルークの説教くらいなんでもない。
スズメの囀りに等しいほど穏やかなものだ。
大遅刻してきた俺に最初は機嫌の悪かった彼女も、コレを買っていたから遅れたんだと説明するとあっさり許してくれた。
しかも、撮影中はずっと上機嫌。
必要以上に身体を密着させると顔だろうと何だろうとスリッパでぶん殴ってくるのに、今日は始終笑顔。
カメラマンのテンションも高まり、多少大胆に攻めてみたのだが鼻歌交じりに許してくれた。
彼女の頭の中は俺ではなく、アップルパイに100%向いているという事実は少し悲しいが…
「ね、ねっ。ガウリイ!」
「ん?」
「もう一つ食べていい?」
「あぁ、リナのだから食べていいんだぞ。」
「やった♪」
もう一つと言うのは、一切れと言う意味ではなく、ホール単位である。
既に彼女のお腹の中には、アップルパイが1ホール納まっている。
それ以外にも、スタッフが差し入れたピザやパスタ…サンドイッチなどが消えているのだが…
「んーーー♪美味しい。」
大きな口をあけてぱくりとアップルパイを頬張る。
しかし、不思議だ。
あんなに食べているのに…そう思っていると、「そろそろ撮影再開しまーす。」という声。
彼女は慌てて残りを詰め込んでお茶で流し込むと、羽織っていたガウンを座っていた椅子に置く。
ジュエリーの宣伝用ポスター撮影のためにカクテルドレスの彼女。
やっぱりお腹は引っ込んだままだ。
俺の横を通り過ぎようとした腕を捕まえて、お腹をぽんぽんと触ってみる。
「なっ!?なによいきなり!」
「リナ…お前。食った食べ物はどこに納まってるんだ?」
心底不思議でそう聞いてみると、キョトンとした彼女は首をかしげ、
「じゃぁ、聞くけど。あんたも食べたものどこに収まってるのよ?」
テーブルの上には綺麗に食べられたアップルパイの箱が五つ。
二つはリナ。一つはスタッフ全員。残りは俺だ。
「さ、くだらない事言ってないで、仕事よ仕事!」
「おう。」
撮影に戻った俺達をよそに、テーブルを片付けていたスタッフはふぅと息をついた。
あの2人の食欲は見ているだけで胸焼けがするわ。と呟きつつ。
Fin
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