鬼の随意

【パラレル・似非平安】





「姫様…」

機嫌を窺うような女中の声が御簾の向こうからする。
リナは返事もしないで、針を動かした。
どうせいつもどおりなのだ。
自分の存在など遠の昔に忘れられている。
改めてそう思うと、なんだか手の中の衣を縫う事すら馬鹿らしく思えてくる。


「やめた」


縫いかけの群青色の衣を投げ捨てる。
針がついたままのそれを見て、女中は顔を青くした。
着物を摺りながら近づくと、糸を切り針の数を確かめて漆の小箱に戻していく。
無くすと大事だ。
その様子を眺めながらここ数日、この衣にかかりきりになっていた時間が無駄に思えてリナはため息をついた。


「姫様、そのような顔をなさらないで下さいませ…お父上はきっとお忙しいのでございます」
「…そうかしら…」
「えぇ。きっとそうでございます。帝の覚えも良いと評判になっておりますゆえ…」

御機嫌を取るのに成功したと、ホッと胸を撫で下ろす女中。
そんな彼女に、リナは意地悪く呟いた。

「そう、評判はあたしの耳にも届いているわ」
「まぁ」
「父上がこちらに参られないのは、妾が新たな子を産んだからと屋敷内でもっぱらの評判ね」
「……ぁ」


屋敷の奥には、世話人たちの噂話は届かないとでも思っているのだろうか。
青ざめた女の顔を眺めるとリナは小さく首を振った。
別に嫌味を言いたかったわけではないのだ。

「困らせて悪かったわ」
「いえ…わたくしこそ配慮が足らず…」
「いいのよ。別に…」

良くはないのだけれど、他人に当たったところで心のモヤモヤが晴れるわけでもないのだ。
どうせなら父を思い切り困らせてやりたい。
無理難題を強請って…用意できぬなら屋敷に来てほしいと…
もう何年も、顔すらまともに見ていない父を思い思いリナは決意した。


「使いの者を手配して」
「お父上に文をお書きに?」
「えぇ。少しくらい我儘を言ってみようかと思って…」
「まぁ、姫さま…でも、良い考えかもしれませんわ。たまには我儘を言ってみても良いかもしれません」

絹の衣でも、蒔絵の美しい鏡でもと微笑むそれにリナは首を振った。
これはあくまで、父への嫌がらせなのだ。用意できるものでは困る。
それでは、義務は果たしたと…自分への興味も消えてなくなる。
忘れられるのは良い。時々思い出し、気にかけててもらえるのなら。
だけど、存在自体を無いものとなるのは耐えられない。



「鬼をもらうわ」



まるで言葉遊びの歌のように言うリナの言葉を、最初女中は理解できず首をかしげた。
鬼?鬼とはなんだっただろうか…

「父にだって用意できないものよ…鬼を捕らえるなど不可能…この手紙をみたら、きっと観念して会いにきて下さるわ」

とんでもない!!と叫ぼうとした女は、姫の笑顔の奥に見えた寂しさに口をつぐんだ。
長く仕えて来たのだ。
幼いころから、どれだけ寂しい思いをしてきたか知っているだけに…今回ばかりはこの些細な我儘を叶えてやりたいと思った。
彼女の母上が亡くなって以来…屋敷を訪れるのも年に数回。
それすら、ここ数年は「来れぬ」と使いを走らせるだけ。
文すら寄越さない。
少しくらい、頭を悩ませればいいのだ。



「そう…でございますね。では使いを手配いたしましょう」
「ありがとう。思いっきり父上を困らせる文にしないと…」


リナは微笑んだ。










◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇










「姫様…」

父へ手紙を出して、何の音沙汰もないまま一月が過ぎた。
そんなある日だ。
困惑した女中が室内に入ってきた。


「何?父上はようやく謝りの文をよこしてきたのかしら?」

くすくすと笑うリナに、女は首振り…固い声で言った。
お父上から…鬼が届きましたと。
リナの手から、赤いお手玉がぽとりと落ちた。

「お、に?」
「はい。鬼でございます…」
「まさか、そんなものいるはずないわ。用意などできるはずが…」
「しかし、この世のものとは思えぬ姿にございます…」


あの、どういたしますか?と聞くそれの言葉を待たず、リナは立ち上がり廊下へと出た。
慌てて女が追いかけてくる。
この目で確かめなければ気が済まない。
鬼などいない。
だからきっと父の用意した鬼だって偽物だ。
それをこの目で確かめ、正体を暴き恨みの一つでも言ってやらねば気が済まない。


お待ち下さいと止めるそれを引きずるように、リナは廊下を曲がり…それを見た。


荒縄で縛られた、見たこともない髪の色をした大男。
その両脇を父の武官に固められ地に膝をついている。

まさか、姫が突然現れるとは思っていなかったのだろう。
男たちは固まっている。
それはそうだ。この時代、高貴な血筋の姫がこのように顔を曝すことなど無いのだから…


「姫様っ!!」


悲鳴じみた女中の声。
わたくしがお叱りを受けますと懇願して、リナをなんとか御簾の向こう側へ押し込めると、両手をつき武官に頭を下げた。
どうかご内密にお願いしますと。
武官たちも嫁入り前の、しかも自分たちの主の娘の顔を見たとなればどんな罰が与えられるか分からず、二人顔を見合わせ頷いた。
しかし、そんな下々の内心など気にした様子もなく、リナは声かけた。
これすら、咎められることなのだが最早仕方ない。
女中は目くばせし、武官に思いを伝える。
武官も心得たもので、ここだけの秘密にいたしますと頷いた。


「ねぇ、それは本当に鬼なの?」
「もちろんでございます。主より名を受け、遥か海の彼方…鬼ヶ島より姫のため捕えてまいりました」

いつも父上の伝言を伝えに来る武官が鬼だと言う、項垂れて動かない大男。
白い肌は、リナのそれともちがう青白さ。
絹糸のような美しい色の長い髪。
どうぞ、眼(まなこ)も御覧下さいと、目つきの悪い武官が鬼の顔を持ち上げた。

「………」

まぁ、恐ろしいと息をのむ女中の声を、リナはどこか遠くに聞いていた。
なぜなら、こんなに美しい色の目を見たのは初めてなのだ。
空のように青いのに、もっともっと深い色。
目の前の御簾が邪魔でしょうがない。
触れてみたい。
人と同じように目を閉じ、人と同じように呼吸し、人と同じように温かいのだろうか?
黙り込んだ姫を前に、武官たちは顔を見合わせる。
怯えてしまったのだろうと判断したそれらは、鬼を連れ、そろそろ失礼をと頭を下げた。

しかし…


「待って!」


リナは声を上げた。
鬼の荒縄を引っ張っていた男たちが振り返る。

「その鬼は、父上があたしに授けてくれたもの…どこへ連れて行くの?」
「…そ、それは…」
「鬼を置いて帰りなさい」
「なっ、それはでねぇ…ぁ、できません!」
「何故?その鬼はあたしのものよ。それとも珍しい鬼を売り小金を稼ぐつもり?」
「わ、我らは主の名で…姫に見せた後は処分するようにと…」

焦る男二人。
リナは厳しく言い捨てた。

「あたしは、父上にこう申したはず。『鬼を下さい』と。見せてと言ったのではない!!」
「………っ」
「帰りなさい」


反論できない雰囲気は、父親譲りだと武官たちは思った。
これが男であるならばこの家の未来も安泰だったろうと…
女であるには謙虚さに欠ける。恐ろしくて言えはしないが…。


「………」


ただ事情を呑み込めない鬼だけが…御簾の向こうのリナをじっと見つめていた。










◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇










武官たちを帰し、鬼を連れて奥の間へと戻ったリナは、すぐに女中たちに着替えを言いつけた。
縛られた鬼が暴れるのではと恐れる彼女らは、いくらこの屋敷の主といえども今回ばかりはその願い聞けませんと皆首を振った。
しかし、断られたリナは肩をすくめると広い部屋の真ん中に座らされている鬼に近づき縄を切ってしまう。
皆がやってくれないなら自分でやるからいいと、鬼の着ている汚れた着物に手をかけた時には、皆観念した。
まさか姫様に鬼とは言え殿方の着替えを手伝わせるわけにはいかない。
お下がりくださいと部屋から追い出し、ため息をついた。

姫はと言えば、上機嫌に笑い身体も洗ってあげてと、更に仕事を付け足す始末。
唯一の救いは、縄を切られても鬼が暴れないことだった。
その青い瞳はリナの出て行った方向をじっと見つめている。

恐ろしい。

女中の一人はそう思った。
氷のように冷たい色の目だと。
姫はなぜこのような恐ろしいものを傍に置くなどと申したのか…
この鬼を美しいと思っているものも少なくなく…現に着替えを手伝っているものの中にも熱い視線を向けている者がいる。

「なんとはしたない…」

嘆かわしいと頬を染めている若い女中の一人を睨んだ。
黒髪の美しいその女は、申し訳ありませんと深々と頭を下げた。




すっかり支度も整い、部屋を移された鬼をリナは待ち構えていた。

「へぇ…こうしてみると、色が違うだけで普通の人ね」

面白そうに、座った鬼をいろんな方向から眺めている。
側仕えの女中が何度も願ったが、リナはこの鬼を近くで見たくて…待っている間に御簾を壊してしまっていた。
一度姫がこうなればもう誰にも止められないのだということを皆知っているため、見てみないフリを決め込む。

「ねぇ?お腹すいてない?」
「………」
「綺麗な髪ね。鬼はみんなそうなの?」
「………」
「……言葉が、分からないの?」

まっすぐに見つめてくるだけで一言も話さない鬼。
リナは今更ながらに、恥ずかしくなってきた。
鬼が何か言葉を返してくれるならまだしも、黙ったまま見つめられるというのは恥ずかしい。
父にだってこんなに顔を見られたことはないのに。

すっかり困ったリナが、詰め寄っていた鬼の側から離れようと立ち上がると不意に大きな手が伸ばされリナの手を掴んだ。
周りにいた女たちが声にならない悲鳴を上げたが、リナの方は気にした様子もない。

「何?」

鬼はしげしげとリナの小さな手を見つめている。
あたしの手何か変?と首をかしげるその前で、鬼は腰を浮かせると片方の膝を付き身をかがめた。
何をしているのだろう?と思っているとふいに手の甲に鬼の唇が触れる。


「っ!?」


驚いて手を引っ込めると、リナを見上げて微笑む鬼がいた。










◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇










恐ろしい鬼とはいえ、それは姫の持ち物だ。疎かに扱うわけにはいかない。
屋敷の者は皆、ほとほと困り果てていた。
これが、唯の下人となればアレコレ言いつけ仕事をさせることが出来るのだが…相手は鬼。
どうしたら良いのかわからない。

縁側に座りぼんやりと空を見上げている鬼を、皆が遠巻きに眺めていく。

あの日以来、鬼はリナの傍から離れなかった。
最初は、姫が鬼に魅入られたのではと危惧するものもいたが…逆だ。
鬼が姫に魅入られ、傍から離れないのだ。


「できた」

部屋の中から聞こえた明るい声に反応するように、鬼は表情を取り戻し振り返る。
衣ずれの音がして、リナが出てくるのを眩しそうに見つめる鬼。

「これね、本当は父上にと思って作ってたものだけど、貴方用に作りなおしたわ」

群青色の衣を鬼の肩にかけてやる。
じっと見つめられて意味がわかったのか、あたふたと立ち上がり袖を通してみせる鬼がおかしくてリナは笑った。
こうして立って向き合うと本当に大きい。

「綺麗ね。貴方の色」

鮮やかな糸で刺繍を施した衣は鬼によく似合っている。
満足げにリナは頷くと、さっきまで鬼が座っていた縁側に腰をおろした。
側仕えの女中が見ていたら、はしたないとまた怒るだろう。
でもそんなことはいつものことなので気にしない。
鬼もリナの隣りに腰をおろした。


「あたしね、貴方が鬼だと思っていないの」
「………」
「世界はとっても広いんですって…」
「………」
「母上がよくそんな話を聞かせてくれた」
「………」
「春になると訪れる鳥たちが、冬にはどこに行くのか…貴方は知ってる?」


傍らの鬼を見上げる。
鬼はそんな広い世界の向こう側から来たのだろうと、リナは思っていた。
そこはどんな世界なのか。
屋敷の中からろくに出たこともないリナには想像が出来なかった。
この鬼のような髪や目をした人たちがいるのか、どうなのか…空を見上げながらそんな世界を思い描いた時だ。



「リナはそこに行ってみたいか?」



耳に届いた言葉。
リナは首をかしげあたりを見渡したが、どこにも人影はない。
いったい誰が話しかけたのか不思議に思っていると、鬼が笑った。

「リナ」

低くて優しい声。


「貴方が喋ったの?言葉がわかるようになったの?」
「ごめん…最初から分かってたけど、黙ってたんだ」
「…なぜ?」
「俺は奴隷だったから…」

どれい?聞きなれない言葉にリナは首をかしげた。
鬼の大きな手がリナの小さな手を包む。

「お金で売り買いされる人間のことだ…」
「…あぁ、下人のこと…」

もっと酷いと鬼は首を振る。
少なくても、この屋敷の下人は餓えて死ぬほどの事は無いのだから。


「貴方はやっぱり人なの?どこから来たの?」
「遠いところ。海の向こうだ。」
「うみ…」


聞いたことはあるが見たことはない。
正月に食べるアワビはそこで採れるのだという事は知っているが、リナは海が何なのかわからなかった。
巨大な池だと女中の一人は言っていた。
だが、鬼は首を振る。もっと大きくて、例えるならあれは空だろうと。

「空?」
「あぁ。地上の空だ。どこにだって続いているけど簡単にはたどり着けない」
「へぇ」
「行ってみたいか?」

どうやって?簡単にたどり着けない場所なのでしょう?と聞くリナの頬を鬼の手が滑る。
くすぐったくて目を閉じると、前に手の甲に感じた柔らかな唇の感触が頬に落ちた。


「行けるさ。リナが望むなら俺が連れて行ってやる。」


連れていく?海の向こうへ?

「…行かないと言ったら貴方はどうするの?」
「それは困る。俺そろそろ帰らないと本気でマズイんだ」
「勝手ね…」
「わかってる。本当は黙って出て行こうと思ったんだ…迎えの知らせも受けたし」


知らせ?いつ?とリナは声を上げた。
鬼は最初にリナにあった時だと微笑んだ。

「あの時…?」
「あぁ。俺を連れてきた男が二人いただろう…片方は俺の幼馴染。言葉はそいつに教えてもらった」
「なんで?」
「ん…ちょっと前にな…船から落ちて、拾われたのが奴隷船だった」


丁度この国に、奴隷を売りにくる途中だったらしい。
毛色の違う人間は見世物として高く売れたから。
その多くは長い航海の途中で死んで行ったので、実際売られた人間の数は片手で数えるほどだったそうだ。

「飯も水も与えられず、薄暗い場所に詰め込まれて…弱いやつはどんどん死んで行く」
「そんな…」
「やっとたどり着いたと思ったら今度は言葉の分からない連中に売られるんだ…」
「………」
「それでも、本国で奴隷にされるよりはまともな生活ができるかもしれないな…珍しいから大事にされることが多い」


では、父上はこの鬼……この人を買ったということか…自分の我儘を叶えるために。
リナは何も知らない事が、こんなにも恥ずかしいと思ったことはなかった。
知らずに、鬼をくれと…命を寄こせといっていたような物なのだ。
だけど、鬼は微笑みながらリナの栗色の髪を撫でた。

「俺が海に落っこちたくらいで死ぬはずないって思っててくれたみたいでさ…この国についてすぐに見知った顔を見つけた時は本当に驚いた」
「…あなたの、幼馴染?」
「ん、あぁ。隙を見て逃げるぞって話しだったんだけどな…」
「あたしが我儘言ったのね…」


あの時、鬼を帰していたのなら…きっと彼はもっと早く自分の居場所に戻れていたのだろう。


「悪かったわね…そんなことも知らずに…」
「いや。俺は良かったと思ってる。」
「え?」
「おかげで、守りたいものを見つけたから」

髪を撫でていた手が、ぐいっとリナを引きよせ腕の中に閉じ込めた。
こんな触れ合いはいままでしたことがなく、リナは放してと身をよじる。

「考えておいてくれ…六日後俺は出て行くから…」
「え…」
「迎えの船が沖に停泊する。新月の晩なら目立たないから…それに合わせてこの屋敷を出るよ」



低い声はそこで途切れ、温もりも離れて行った。
まるで、今まで話したすべてが夢だったみたいに、ぷつりと切れたのだ。










◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇










…出ていく。鬼が居なくなる…元の生活に戻る?


それはどうだろうかとリナは暗い部屋で寝がえりを打った。
偽物だったけれど、父上は一応鬼を用意した。
リナもそれを鬼と認めて傍に置いた…ならばもうなんの引け目もない父は、リナを省みることは無いのではないか?

「一人になるのは…嫌だ…」

外で月が欠けて行く…心と同じ。照らすものがなくなってぽっかりと暗闇が広がるのだと思うと寒気がした。
鬼と一緒ならば外の世界も恐ろしくないのか?
だけどもし、鬼の話したことの半分だけが本当だったら…
毛色が珍しいというだけで売り買いされる。
それは自分にだって当てはまるのではないか?
あの者の国へ行けば…珍しい自分は売られてしまうのではないか?

「そんなこと…」

あるわけ無いと言えるだろうか?
だって、鬼のことなど何も知らないのに。
夜中に起きていると余計なことばかり考えていけない。
リナは固く目を閉じ眠ってしまおうとした。
だけど…微かに聞こえた話声に身を起こした。


「…鬼の部屋から…」

聞こえる声に誘われるように部屋を出る。
しずしずと廊下を歩いてその先へ。
屋敷の一番奥の離れが鬼の部屋。
人が歩けば軋む廊下を慎重に渡りリナは耳をすませた。

「………」
「………」

誰かの話声。
もしかして、鬼の言っていた幼馴染だろうか?
彼を探していたという…

ぎゅっと薄手の着物を握った。


「〜〜〜っ!」
「〜〜〜〜!!」

言い争う声。
よく耳を済ませればそれは異国の言葉だ。
何を話しているのか分からない。だけど、ひとつだけ聞き取れる言葉があった。
『リナ』鬼がそう言った。
勝手に身体が震え、床がギギっと音をたてた。
反射的に逃げようと踵を返したが遅かった。


「リナ?」


出てきた鬼に見つかってしまった。

所在なく立っているリナの手を引き鬼は部屋に招く。
中に入ると明かりの無い部屋の中、やはりもう一人男がいた。
最初に鬼をつれてきた、武官の内の一人…やたらと目つきが悪かった方だ。


「こいつはルーク。俺の幼馴染ってやつで、この国の生まれなんだ」
「…そう」
「あぁ、暗いのは勘弁してくれ…明かりをつければ屋敷の奴らが来てしまう」
「うん…」

あまり言葉を返さないリナを不審に思ったのか、鬼はその顔をのぞきこもうと身をかがめた。
顔が思いもしないほど近づいたためリナは慌てて離れようと後ずさった。
鬼はわけが分からず首をかしげる。

「あ、あの…」
「どうした?」
「あ、いや…えっと…」

部屋が暗くて本当に良かったとリナは思う。
そうでなければ、自分はきっと秋の紅葉のように真っ赤になっていることだろう。
まったく分かっていないそれは、不思議そうにどんどん近付いてくる。
それを止めたのは、黙っていたあの武官だった。

「ガウリイ、いい加減にしろ!」

がうりい?リナは首をかしげ…それが鬼の名前であると理解したのはしばらく経ってからだった。

「俺は真面目だぞ?」
「何処がだ…船から落ちて奴隷船に拾われたまではまだ良い。運が悪いのか悪運が強いのかしらないけどな…生きてただけマシってやつだからな」
「うん、俺もそう思う」
「だけど、俺が言いたいのはその後だ。逃げられるチャンスをテメェの我儘で今日まで待ったんだぞ!?」
「あぁ」
「その上さらに…この姫さんを連れてきたいなんて…我儘も大概にしろよ」

そういえば、ギロリと睨む武官の眼の色が自分とよく似た朱色だったことをリナは思い出していた。
ぼんやりとしていたせいで気がつかなかったが、ずいぶんと近くに寄った鬼に抱き締められる。
身体が動かない。

「最初で最後の我儘だ。連れてく。リナが嫌なら攫っていく」
「…お前の我儘…思い出すだけで腐るほどあったはずだが…最初で最後って言うのかコラ!」
「さ、最後で最後の我儘だ!!」

そんな言葉ねぇよと男。
二人の会話はすべて耳をすり抜けていく。
連れて行く?攫って行く?…それでどうするの?


「……連れて行って、どうするの?」


絞り出した声はかすれていた。
鬼がこちらを向く。
リナ?と窺うような声。

「売るの?」
「え?」
「…貴方の国なら、珍しいから高く売れるのでしょう?」

言っていて虚しい。
勝手な想像でそう思っているだけなのに…
だけど、黒髪の方は否定しなかった。

「売れるだろうな」
「ルーク!!」
「事実だろう…俺だって買われたクチだ…」


鬼がぐっと言葉を詰まらせる。


「まぁ…そうだな…こいつの家はちょっと…いや、かなり変わってるから…退屈だけはしねぇな」
「…変わってるって…」
「実際変わってんだろ…って、まさか自覚ねぇのかよ?」
「…無くはない」
「自覚持てよ馬鹿」
「うぐ…」

今度こそ黙る鬼。
だけどめげないところが長所なのかどうなのか…リナの肩を掴むとまっすぐに向き合う。

「約束する。酷いことはしない。リナの見たがってる世界を見せてやる」
「…世界…」
「広い海だ。どこまでも青くて綺麗だぞ?」

嬉々としてリナを誘う鬼のセリフに『あんなもん三日も見れば飽きるってーの』と黒髪。
ちょっと黙っててくれよと睨む鬼。


「なぁ、リナ…春になると訪れる鳥たちが、冬にはどこに行くのか知りたくないか?」



知りたい。



「違う文化を見てみたくないか?」



見たい。



「俺と一緒に行かないか?」



…行きたい。一緒に…


いつしか、ただこくこくと頷いていたリナを鬼はぎゅっと抱き締めた。
マジかよ…と頭を抱える黒髪のことなど二人は無視した。





そしてその夜。善は急げと薄着の姫を担ぎあげた鬼は闇夜に消えて行った―――










◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇










「つーかどうすんだよオイ…」

船の上で、目つきの悪い黒髪は途方に暮れていた。
まんまと姫をさらってきた鬼は上機嫌で水平線を指差しあれこれ語っている。
その様子を眺めて、彼はもはや形も見えぬ生まれ故郷を振り返り…不用意に思い出してしまった顔を消すかのように首を振った。
今頃怒り狂っているに違いない。
一応手紙は残してきたが…アレの性格を思うと漁船だろうと船団組んで遠い海を渡ってきそうだ。
愛されてないと思い込んだ姫さんと…愛し方を間違えた父親の末路がこんなもので良いのだろうか?

何故娘に会いに行かないのかと聞いたことがあった。
海に落ちて奴隷船に拾われた馬鹿王子を助けてほしいと頼った男にだ。
それは言った。

『だってよぉ…年々死んだ妻に似てくるんだぜ?あぶねぇだろ。押し倒したくなって。』

とんだ馬鹿親だ。
わざわざ妾に子供なんて妙な噂まで流して会いに行かない理由を作るなんて。
そんな事をしているから、鬼に姫を攫われるんだ。

とりあえず…手紙が届く距離のうちにもう一通。
大丈夫だと伝えておこう。





船の隅で伝書鳩の籠を開けながらルークはまた深いため息をついた。




Fin




Short novel



2009.12.03 UP