太陽が世界を紅く照らす。
うっすらと目を開け、最初に見えたのは血のような空。
そして、本物の血臭。
腐敗していく人だった者達の臭い。
断たれた細胞が分裂し、引き合い繋がり、身体を再生していく音が聞こえる。
ぎゅちゅぎゅちゅと耳に響く音で。
視線を横に動かせば、そこは死体の山、山、山。
ここは戦場。
ここは死に一番近い場所。
なのに、また俺は…見放された。
死を与えられなかった。
「地獄も俺を嫌ったか…?」
再生の終わった口で喋る喉がひりひりした。
ゆっくり身を起こすと、俺は立ち上がって歩き始めた。
自分の死に場所を求めて――――――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺がこんな身体になったのは今から100年ほど前のこと。
小さな国境の村で神父をしていた俺は、人を助け良き導き手となるよう仕事に励んでいた。
そんなある日、教会の前に傷付いた旅人が倒れていたのを見つけ熱に魘されるその男を看病し、
数日後…
男は傷も癒え元気になり、教会を去った。
その時に見たこともない果物を俺に渡していった。
お礼だと言って。
そして、俺はそれを食べ……不老不死となった。
最初は気が付かなかったのだが、ある日教会の裏庭の草を釜で刈っている最中誤って自分の手を切ってしまったときはじめて異変に気が付いた。
血が滴り落ちる傷口があっというまに塞がり、断ち切れた細胞同士が引き合って繋がって、跡形もなく消えのだ。
こんな異常な俺を、村人達は神の奇跡だと称えた。
しかし、それもわずかな間だけである。
10年、20年と過ぎていく時の中で取り残されたように姿が変わらない俺を皆は恐れはじめた。
そして、噂した。
――――彼は神に見放された――――
と。
人は誰しも死ぬ。
それは神が与えた試練でもあり、神の身元へ逝く神聖なものだと。
そして、神の元で魂は浄化され、また新たな命に宿るのだと。
しかし、俺はその神に見放された罪人。
だから死ぬことも出来ないんだと。
俺は逃げるように村を去った。
各地を放浪しながら俺は考え考え…神父として人々を助けて歩くことにした。
それが一番性に合っていたし、もし気が付かぬ内に何か罪を犯していたのなら人を助けることで償いたいと思ったから。
そして、俺が犯した罪を知りたかったから。
けれど…何をしても、どれだけの人を助けようとも、俺の時は止まったまま理由も解らない。
一つの地でとどまることも出来ず、俺はただ宛もなく彷徨った。
そして何時しか考えることは、人を助けることではなく、死ぬ方法。
尽くすことで罪を償おうとしたが、それでも天は俺を迎えてはくれなかった。
だから、俺は戦場に出た。
神父という今まで守ってきたものを捨て、傭兵として…人を殺す道を選んだ。
天が迎えてくれないならば、地獄でも構わないと。
傭兵として何年も最前線で戦い、なんども死んだはずだ。
断末魔の叫びを上げ、自分の肉が断ち切れるのを、血が大地に広がるのを感じて地獄に堕ちたはずだ。
なのに、俺はまだ地上(ここ)にいる。
カララン…
少し立て付けの悪い扉に付けられたベルが鳴り、店の中にいた者達が入り口に目を向ける。
そしてそれっきり、興味を無くしまた下らないおしゃべりへと戻っていく。
それでも、中には入ってきたヤツにちょっかいを掛けたがるヤツは1.2人いるもんだ。
「よぉ〜ねーちゃん!」
「俺達と飲まないかい?」
奥のテーブルから掛けられる声に栗色の髪の少女は一瞬目を向けただけで興味なさそうにカウンターに向かった。
「ちぇっ、無視かよ!」
「サービス誠心ってのがねぇなぁ。」
でかい声で騒ぎ立てる男達はすでに出来上がっていた。
真っ赤な顔でぐびぐびと酒を飲み、つまみを口に運ぶ。
俺は少女の方へ視線を巡らすと、彼女はカウンターの中にいるマスターから酒を受け取り席には座らずコツコツとブーツを慣らして歩いてきた。
「お!ねーちゃん!!」
「話がわかるじゃねぇか♪」
奥の席の男が今まで愚痴っていたのを良いことに下心丸出しの顔で笑った。
相変わらず少女は無表情なまま。
そして、ギッィと椅子を引き…何故か俺の前に座った。
「ここ、空いてるわよね?」
そう言って、持ってきたグラスに真っ赤なワインを濯いで飲み始める少女。
変な違和感があった。
伏せていた目が、ちらりと上がり俺を見る。
奥からは、男達の喚く声が聞こえたが彼女はまったく反応しない。
俺はそのまま少女を見つめ…ふと違和感の正体に気が付いた。
「おい。」
「何?」
「子供が酒飲んじゃ駄目だろ!?」
「え…?」
彼女の手から飲みかけのワインをもぎ取り、ついでにボトルも引き離す。
一瞬後、呆気にとられていた少女が『あーーー!?』と声を上げ身を乗り出すようにして俺が取り上げた酒に手を伸ばす。
急に生き生きと輝く瞳。
周りが色を持って居るんだとなんとなくそんな当たり前のことを思う自分。
「ちょっと!それあたしのよ。返しなさいよ!!」
「駄目だ。まったく子供がこんな酒…げっ!?この酒めちゃくちゃ高いじゃないか!?」
「だから何よ?いいでしょお金は払ったんだから。ホラ返して。」
「まぁ、金をはらったのなら…って、駄目だ!!」
久しぶりに、人に説教をしている気がする。
なんだろう?
この子が俺の前に座ったから気になったのか?
今更、神父の時みたいに人に説教することなんて無いと思っていたのに…
それ以前に、そんなことすら興味がわくはずがないのに。
「あのねぇ…」
少女が盛大な溜め息を付き、小さな手を額に当て、しばらくすると無造作に髪に突っ込みガシガシとかいた。
そして、また下からちらりと俺を見上げる。
ドキッと胸が撥ねた。
何故だか…この少女がとても大人に見えて。
見た目と裏腹な仕草。
「いつから、貴方は神父様に戻ったわけ?」
さらりと…彼女は言った。
俺がその言葉を理解するのにはしばし時間が必要だった。
その間にボトルとグラスをひったくる少女。
そして目の前で彼女がグラスに残っていたワインを煽り、コクリと飲み干す。
ニヤリと笑った。
「どうしたのよ?そんな顔して?」
「なんでその事を。おまえ…誰だ?」
「あたし?」
「誰だ、どうして…俺が神父だったって…知って?」
今の俺をみても、元神父だなんて思うはずがない。
何十年も戦場で戦ってきて、知らない内に体つきが変わり剣の腕も誰にも負けないほどになった。
そもそも、俺が神父だと知っている人間が生きているはずがない。
「誰なんだ…?」
「リナ。」
「え?」
「リナよ、それだけ。あたしは只のリナ。」
少女…リナはそう言ってボトルからワインを濯ぎ、残りを俺のカラのグラスに入れる。
無意識に俺は濯がれたソレを飲み干した。
喉を滑る酸味と甘み。
ふっとまたあの大人びた顔でリナが笑う。
「ねぇ、あたしと一緒に来ない?…ガウリイ?」
「…なんで俺の名前…」
「さっきから、”なんで”ばっかりね。長いこと生きてきたんだから、すぐ人に聞かないでちょっとは頭も使わなきゃ。」
とリナは首を傾げた。
手を伸ばし、俺のつまみを口に運ぶ彼女。
「一つ教えて上げる。」
「何をだ?」
「死に場所なんて何処にもないわよ。何処にもないの…」
「…どうしてわかる?」
「わかるわよ、あたしだってずっと捜してきたんだもの。」
「え?」
「でも、死ねないの。どんなに身体がバラバラになったって、何時かは再生しちゃうんだから…」
『だから死ぬことなんて出来ない。あたしたちは生きることしか許されないのよ。』と彼女。
ん?…あたしたち?
「お前さん…まさか」
「やっと解った?あたしもアンタと同じ。あの実を口にしたのよ…」
遠い目でリナは窓の外の暗闇を見つめぽつりぽつりと話し始めた。
それは、俺とよく似た話だった。
「あたしね、ゼフィーリアの国境の小さな町で見習いシスターしてたのよ。
小さい頃に戦争で家族を失って神父様に拾われたの。
それでね、今から…どれくらいかしら?えっと、90年くらい前かな?
あたし、森で倒れてる旅人見つけてね。教会で介抱したのよ。
その人すぐに元気になって、あたしに見たこと無い実をくれたの…」
『で、こんな風になっちゃったんだ。』とリナは笑った。
そのときに、噂で俺のことも聞いたらしい。
すぐ隣の国の神父が何年か前に不老不死になったと。
俺は言葉が出なかった。
何と言えばいいのか…いや、何も言われない方が楽だということを俺自身知っている。
だから何も言えない。
「………。」
暗い顔のままの俺。
そしてリナは、はぅと溜め息を付くとコクリと酒を飲み干し、
「あのね、どうしてそんなに暗い顔するのよ?」
「………。」
「死ねないなら、良いじゃない。生きてれば。」
「え?」
「あたしだって、ホント言うと今でも捜してるわよ…死ぬ方法。でもね、見つからないんだから無理に捜す必要無いじゃない?」
「そんなもんか?」
「そうよ、好き勝手あっちこっち見て回って珍しい料理食べて、そんでそのとき偶然にでも見つかるかもしれないじゃない。あたしたちが、死ねる場所。」
「あるのかな…そんな場所。」
両手に握りしめたカラのグラスを見つめて呟くとやっぱり盛大な溜め息が聞こえた。
「あのねぇ…アンタ元神父でしょ?だったら神様信じてみなさいよ。」
「信じたさ、昔はな。今は…信じられると思うか?」
「ま、あたしも信じちゃいないけど。でも、気休めでも信じる物は救われるってね♪勿体ないわよ!じめじめ生きてくのって。」
ウインク一つ。
それだけで、また世界が色づいた。
悪くないかもしれない。
「……そうだな。」
「そうよ。」
「そうだな。」
「そうよ、だから一緒に行かない?あたしと。」
「お前さんと?」
この少女と旅をしてみるのも悪くない。
「そっ、一人で旅するよりもきっと楽しいわよ?」
「そうか?」
「うん。絶対によ!」
良く変わる表情だ。
くるくる目まぐるしく動いて、つられて俺まで笑ってしまう。
「だから、一緒に人生楽しみましょう。時間はそれこそ死ぬほどあるんだし。」
「あぁ。」
「そうと決まれば!」
「ん?」
にんまり笑った少女がくるりとカウンターを振り返り…
「マスターーー!!お酒高いのと、おつまみを、そーねぇ、あるだけ頂戴♪」
「お、おい!?」
「いいじゃない!出発祝いよ♪」
「いや、そうじゃなくて…」
「男がこれしきのことで驚かないの!!」
そういって笑う少女を見つめ…俺はこれからの旅が只ではすまない物になると感じたが、心は躍っていた。
こんな感覚生まれてはじめてかもしれない。
うん、悪くない。
こんな風な生き方も悪くないかも知れない。
こうなったら、不老不死の人生…波瀾万丈、楽しく生きてやろうじゃないか!
「あ、俺も酒追加なーー!!」
Fin
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