人は罪を犯す。
そして、悩み、悔やみ、最期には許しを請うのだ。
これからを生きていくものがそれを受け止める。
ならば、最期の時が見えぬ俺たちは…誰に許しを請えばいい?
何に縋ればいい?
手に染み付いた臭いも色も…もう聖水ですら清めることは出来ないけれど…
俺たちに唯一与えられたものが、尽きることの無い命なら
縋るそれを受け止めよう。
『許すよ』とただ一言を紡ぐために…
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
悲鳴が聞こえたのは、夕闇迫る頃。
雲行きが怪しくなってきたので近道しようと林を突っ切る獣道に入った時だった。
「!」
一瞬目を合わせた後、彼女より先に駆け出す。
後ろから追ってくる気配。
何も言わなくても解っている。
今のは、ただ盗賊に出くわしてしまった者の上げる悲鳴ではない。
痛みを伴うあれは…何度も聞いてきた死の間際の声。
木立の向こうに人影が見えたときにはすでに剣を抜いていた。
遠くでゴロゴロと雷の音。
金属が触れ合う鈍い音が幾度か響き…最後の一人がその場に倒れたときには血の臭いはぽつぽつと降り出した雨に流され始めていた。
「リナ…」
木の幹に背を預けている女の顔は大理石のように白い。
俺を見上げたリナが黙って首を振った。
雨に濡れた髪が額に張り付いているをのはらってやる。
あまり意味は無いのだが…
「っ…ん……」
小さく呻いて女が目を開けた。
明るい灰色の目が俺に向けられる。
ヒューヒューと喉が鳴る音が聞こえて、消えそうなほどかすれた声が
――神父様――
と俺を呼んだ。
一瞬身を硬くする。
それはリナも同じだったようで、驚いた様に俺を見た。
そんなはずは無い。
俺が神父だったと知っている者がこの時代にいるわけ無いんだ…
でも彼女は俺のことを神父様と呼ぶ。
「ご…なさい…ごめ……っ」
ゴフッと血が溢れる。
咳き込むたび痛みが走るのか彼女は歯を食いしばった。
それでも右手を俺に押し付け何かを伝えようとする。
痛みに強張った指を解くと、血まみれの何かが出てきた。
「これは…」
「…ロザリオ?」
首を傾げる俺たち。
木に背を預けているのも辛いのか傾く女をリナが支えた。
「る、して…ゆる、て……し、ぷ…さま」
どこにこんな力が残っているのか?俺の手を握り締めて女が言う。
「どうやらあんたを誰かと勘違いしてるみたいね…」とリナ。
それっきり彼女は黙ってしまった。
代わりに小さく呪文を唱えている。
それが、傷を癒すためのものでは無く…痛みを和らげてやるためのものだと言う事は知っている。
この傷はもう魔法でも癒すことは出来ない。
「これ…無くなれ、っば、わたし…見て……」
泣きながら、俺の手を握り締め彼女は言う。
『これさえ無ければ貴方は私を見てくれると思ったの…』と、ロザリオを見る。
神父に恋した彼女の思いは受け入れられることは無く…だから盗んだのだ。
「…ごめんなさい、ごめん、なさい…」
漏れる言葉は許しを請う。
許して、どうか嫌いにならないで―――他には何も望まないから…
そればかりを繰り返しぱたりと彼女の手が落ちた。
ぼんやりと開けられた目からこぼれた涙が雨と混じり頬を伝う。
「ガウリイ…」
リナが落ちた彼女の手を、俺に握らせた。
冷たい手だ。
死に逝く者の手。
「…許すよ。」
君を許すよ。と告げるとかすかに微笑んだ。
閉じていく瞳は俺の向こうに誰を見たのか…笑みが刻まれた彼女の死に顔は安らかだった。
遠くで聞こえていた雷鳴がすぐそばで聞こえ、大地に流れた血を全て洗い流すかのように、雨が叩きつけられる。
「行きましょう。」
どれくらいたったのか…リナが俺の肩に手を置いた。
振り仰ぐと俺を見下ろす瞳。
雨に濡れた身体からは熱が奪われ、青白い顔のリナが息を引き取った彼女と重なって眩暈がした。
何時か…彼女は俺より先に死ぬのだろうか?
そして、許しを請うのだろうか?
―――貴方を一人…遺して逝く私を許して―――
と。
押し寄せてくるのは、ただひたすらな孤独。
世界に一人置き去りにされる恐怖。
彼女に合う前は感じなかった感情…くしゃりと歪んだ俺の顔にリナが手を添える。
グローブを通してかすかに彼女の温もりが伝わってきた。
まっすぐに俺を見る。
「一緒に、生きましょう。ガウリイ。」
何を考えていたかなんてお見通しだと言わんばかりの顔でリナが微笑む。
その笑顔が嬉しくて、温かくて、声も出せずただ頷いた。
情け無い。
いい歳した男が泣くなんて…でも今は、この涙も雨の所為にしてしまおう。
立ち上がってロザリオを布でくるむ。
木の幹に寄りかかったままの彼女を抱き上げて顔を上げた。
「この子…」
「この先の教会で聞けばわかると思うけど…治してあげられなくてごめんね。」
そう言って、だらりと落ちた女の手を取り組ませる。
降り続く雨の中街に向かう。
林を抜けた先に小さな街が見えた。
「マリア!!」
街を囲む白い石を積んだ塀を越えて広場に差し掛かる頃、通りの向こうから泥だらけの男がかけてきた。
雨に濡れ、泥に汚れた神父服。
途中で石に躓き泥濘に見事に倒れこむ。
短めの金色の髪はぺったりと額に張り付いていた。
「大丈夫ですか?」
リナが手を差し伸べる。
その手を借りて起き上がる神父。
ひび割れた丸い眼鏡をかけなおし、俺の腕の中で眠る彼女を見ていた。
「マリア…どうして…」
「この先の林で盗賊に…あたしたちが駆けつけたときにはもう遅くて…」
血の気の引いた白い頬に手を伸ばしかけてためらい、泥に汚れた手を眺める。
雨は降り続く。
しばらくしてぎゅっと手を握ると開きそして彼女の身体を俺から引き取った。
抱きしめるように腕に抱き歩き出す。
「どうぞ…教会に…濡れたままでは風邪を引きます。」
肩越しに振り向いた目は悲しみに染まっていた。
教会で湯を借り、着替えをすませて部屋に戻る途中。
ぼんやりと窓の外を眺めている彼女がいた。
「リナ?」
彼女の視線の先に目をやれば、教会裏の墓地に並べられた布で巻かれたもの。
雨の中、盗賊達の遺体をここまで運んできたのだ。
どんよりと重く暗い空の下、聖書を片手に神父が立っている。
冥福を祈るような相手では無いだろうに…
「矛盾してるわよね…」
何が。とは言わない。
俺もわかっているから聞き返しはしない。
後のことを街の人間にでも頼んだのか、墓地から戻ってくる神父と目が合った。
「身体は温まりましたか?」
優しく微笑む彼の心が見えるようだ。
本当は泣きたくてしかがたないのに…
「えぇ。おかげさまで。」
「それはよかった。」
リナと会話しているのを黙って見ている。
「盗賊…ここに運んだんですね。」
「…はい。そのまま放置しておくわけにもいきません…ちゃんと弔って…」
言葉に詰った彼の身体が傾く。
そのまま背中を壁に預けると片手で顔を覆う。
「…でも、できませんでした。彼らを許すことなど…わたしには出来ません…」
死者を前に、彼は何もいえなかった。
そのまま埋めてください。と言い残し墓地を後にしたのだ。
『神父失格ですね…』と自嘲気味に笑う。
「これを…」
布で包んだものを彼に渡す。
震える指が汚れた布を開いた。
彼女が盗んだロザリオ。
「…これさえ無ければ、あんたが自分を見てくれると思った――そう言っていた。許して欲しいと。」
トサッ…と音を立てて彼の手から聖書が落ちる。
彼は両手でロザリオを握り締めた。
そのままずるずると座り込む。
「許して欲しいのはわたしのほう…彼女の気持ちを知っていたのに…逃げたんです…同じ気持ちだったからこそ…わたしは逃げた。」
神父の立場。
神への誓い。
そんなもののために、彼女を突き放した。
「許して欲しいのは…わたしのほうだよ…マリア…」
死んだ彼女の名を呼び続ける彼の前にリナが膝を着く。
そっと肩に手を触れた。
神父が顔を上げる。
その頬を両手で包むと、ゆっくり小さな子供に言い聞かせるように『許すわ。』とそう言った。
「貴方を許すわ。」
「………。」
「彼女なら、きっとそう言う。」
すれ違い交わることの無かった彼らの思いは…今やっと1つになれたのだろうか?
悲しい結末であることに変わりは無いが…
「…ありがとうございます。」
微笑んだ彼の顔は、彼女の最期の笑みと同じ穏やかなものだった。
許される時をただ待つのは俺たちらしくない。
許しを請う相手がいないのなら、自分に請えばいい。
自分自身を受け入れて、運命に抗う。
死を求める訳じゃない。
救いを求める訳じゃない。
俺はただ…リナと共に在り続けたい――
Fin
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