Several thousand stories

【01】





くんくんと鼻をひくつかせ森の匂いを嗅ぐ。
幾人もの人間の匂い。
香ばしいパンの匂いと、芳しい酒の匂いもする。
しかし、そんなもの以上に心躍る芳香。


魔物は若い人間の女が大好物だ。
臭みの無い柔らかな肉、滑らかなミルク色の肌、滴る血はどんな酒よりも自分を酔わせる。
特に肉付きの良い脂の乗った女は最高だと、長い舌で舌舐めずり。


どれくらい前だったか若ければ良いと勘違いした人間が、ギャーギャーと泣きわめくだけの乳臭い子供を差し出した事があった。
その時の落胆は激しく、怒りにまかせ家畜を殺した。
うるさい子供は同じ匂いの人間の女に返して黙らせた。
あの無意味な鳴き声は森中に響いていけない。

またある時は出し惜しみした人間が、骨ばった年寄りを差し出した。
その時の落胆もまた激しく、作物をすべて枯らしてやった。
自分で歩くこともままならない年寄りは、背に乗せて同じ匂いの家族に引き渡した。
年寄りは説教臭くていけない。

人間は勘違いが多いから、はっきりと好みを伝えることにした。

小さくてやわらかくて良い香りのする肉付きの良い女。
特に胸の肉は柔らかければ柔らかいほど良い。
そう伝えて待った今日…とうとうその日が来た。


森の中から複数の人の気配が消えるのを待って、石でできた台に近づいた。
白い服の女が横たわっている。
近寄ってくんくんと匂いを嗅ぐと、桃のように甘いにおい。
森の奥まで届いていたあの心躍る芳香だ。
手足は棒のように細く、正直に言えばもっと柔らかめが良かった。
残念に思いつつ白い手を取る。

「………」

すぐに考えを改めた。
棒のようだと思ったそれは、柳の枝のようにしなやかでみずみずしい。
首もとの詰まった服の胸元は柔らかく大きく膨らんでいる。
鼻を近づけるとますます甘いにおいがした。
これも合格。
折れそうに細い首の先には吸いつきたくなるような紅い唇。

良いぞ良いぞとほくそ笑む魔物はふと違和感を感じて人間の顔をマジマジと見つめた。

夜色の肩まで伸びる短い髪。
伏せられた目の色はうかがえない。
長いまつげが松明の明かりに影を作り時折ゆらゆら動く。

「………?」

なにがおかしいのか分からなかったが、娘から発せられる甘い匂いに我慢できなくなった。
今すぐ食べてしまいたい。

魔物は僅かに浮かんだ疑念を隅に追いやり貢物と娘を担ぐと足早に森の奥深く…人が決して立ち入れぬ城に向かった。


生贄の名を―――アメリアという。







◇ ◇ ◇ ◇ ◇







「やっぱり駄目よ…」

こんなことしてはいけないという思いつめた声にリナは振り向いた。
ドレスの裾を力いっぱい握りしめているのは幼馴染の少女。
肩口で切りそろえた黒髪とこぼれ落ちそうな大きな瞳。
何をするにも一緒だった。
遊びも勉強も、歌のお稽古も。
姉妹と言っても良いほどいつも一緒にいた。
だからわかるのだ。彼女の落胆も悲しみも…苦しさも。
座っていた化粧台の椅子から立ち上がると、同じ高さにある瞳をまっすぐに見つめた。
肩までの髪が揺れて、首筋をくすぐる感触がなんだか新鮮だった。

「大丈夫よアメリア」
「…リナ…」
「それよりあんたは自分の心配をしなさい。今夜儀式が済めばゼルは牢から出されるわ。そしたら良い?逃げるのよ。こんな町出てしまいなさい。」

あなたはどうするの?と聞くそれに、リナは笑顔を見せた。
不安も無い、いつもどおりの彼女。

「あたしがそう簡単に喰われると思っているの?逆に魔物をしばき倒してため込んだお宝いただいて…そうね、世界を見て回るわ。」

だから平気とリナは不敵に鼻を鳴らし、幼馴染をそっと抱き締めた。

結婚を10日後に控えていた彼女が魔物の生贄として選ばれた時誓ったのだ。
絶対に渡すものかと。 30年に1度近隣の町や村から一人選ばれることは知っていたけどやっぱり納得いかなかった。
何故彼女なのか。
幸せから絶望へ…婚約者は儀式が済むまで牢に捕らわれた。
逃げれば命はないと脅されて…彼女は泣く泣く承諾した。
…だから身代わりになることにしたのだ。
彼女が着るはずだった真っ白なドレスに身を包み、長い髪をまとめ黒髪の鬘をつけて。

「あたしはね、アメリア…」

あんたが大好きなのよ。
だから、あんたが好きなゼルも好き。
二人の門出を見られないのは残念だけどと囁いて、トントンと抱きしめた背中をたたいた。
小さな子をあやすみたいに。


「幸せになりなさい。」
「リナ…」
「本当にあたしは大丈夫だから。さぁ、儀式の時間になるわ。迎えが来る前にクローゼットにでも隠れて…」
「…ありがとう…」

どういたしましてと微笑んで彼女の背を押した。
万が一でも入れ替わったこと、気づかれるわけにはいかない。
衣裳がたくさん詰まったそこに彼女を押し込み、指を口に当ててウインクひとつ。

「安心して。魔物なんてあたしがぎったんぎったんにしてやるんだから♪」
「…リナがそう言うと…本当になりそう…」
「もちっ!」

じゃぁねと笑顔で戸を閉めようとしてふと思い出した。

「あ、アメリア?」
「何?」
「庭のあれ、二つもらって行っても良い?」
「えぇ…でも何に使うの?」
「…ちょっと…悔しいけど必要なんだもん…」
「?」


首をかしげる彼女に答えるより先に、ドアノッカーの乾いた音が小さな家に響いた。
リナは窓を開けると玄関に集まった人々を見下ろす。
松明をかかげた男が十数人。

「すぐに参ります」

上からそう告げてクローゼットを完全に閉じ部屋を後にした。
玄関に向かう前にこっそりと庭に出て熟れた桃を二つもぎ取った。
準備はこれでOKだ。




To be continued...

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2009.11.01 UP