イヤだ。
ぶんぶん首を振る。
涙で前が見えない。
―――彼女の顔が見えない―――
『……イ、お願いよ…やくそく…して』
血の匂いに吐き気がした。
死なないでくれと泣き叫んでも、彼女は薄く微笑むだけ。
はっと魔物は目を開けた。
まだ夜明け前の空は薄暗い。
分厚いカーテンの隙間から見える空を睨んで低く唸った。
いやな夢。
切ない…夢。
悲しい。かなしい…
涙がにじむ。覚えていないけれど、昔誰かと約束した。
そして…殺したのだと理解した。
血の味を覚えている。
夢のはずのそれが現実である証拠…生暖かくて、吐き気がした。
あのころの自分は…血の滴る肉を美味しいとは感じなかった。
何故だろう?
小さな疑問に魔物が首をかしげていると、ん…と声がして彼女が身じろぎした。
「ふあ…ぁ、もう朝?」
「………」
おはようと微笑んで伸びをすると、するりとベッドを降りる。
てきぱき着替えてエプロンをつけると、朝食の準備に行ってしまった。
遠くなる、りなの足音に耳を済ませる魔物の耳がぴくぴくと動いた。
夢のことを考えようかと思ったけれど、やめた。
魔物はりなの匂いとぬくもりが残るベッドに伏せると再び目を閉じた。
もう少しだけ眠ったら見回りに出かけるのだ…
あの侵入者のことも気になるし、結界がどこか緩んでいないか再確認しなければいけない。
この間焼いてしまった森の再生具合も確かめなければいけないし、他にもやることは山済みだ。
わけのわからない夢になど構っていられなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふぅ…」
いつものように魔物は見回りに出かけていった。
朝食の後片付けをしながら、ふとリナは首をかしげた。
ローストビーフだけ食べてない。
昨夜作ったものの残りだったが、傷んではいなかったはずだ。
そういえば、今日は肉系のものはあまり食べなかったようにおもう…
「やっぱり…傷は治っても、調子は戻ってないのかしら…」
昼は何か胃にやさしいメニューを考えなければいけない。
ポタージュとか、トロトロに煮込んだ牛筋肉なんてのもいいかしら?とリナは首をかしげた。
早くも昼食の事を考える。
食事以外は魔法がなんでもやってくれるため、時間が開くとやることが無いのだ。
リナは屋敷の中をうろうろとしながら今日も何時もの場所へ向かう。
開かずの間
と名付けたそこは、この屋敷で唯一入ることのできない場所だった。
外から中を確認したことがある。
天井まである本棚が壁一面に見えた。
「ここに入れたらいいのに…」
前に魔物にそれとなく頼んでみた事はあったが…言葉が通じないせいか理解してもらえなかった。
魔物自身もこの部屋に入る様子は無いから、彼には関係の無いものなのだろう。
しかし惜しい…こんなにも本があるのに読めないなんて…とリナはため息をつきつつ、癖でドアノブを回した。
がちゃ…
「え?あ、え???」
いつもなら、固い手ごたえが帰ってくるはずのそれは、軋む音も立てず開いた。
中からはムッと籠ったインクと古い羊皮紙の匂いがしてくる。
何となく後ろを確認する。
秘密の部屋に入っていいものか…迷ったのだが、リナは好奇心には勝てず足を踏み入れた。
「うわっ…」
部屋の中央まで行くと、ぐるりと壁際の本を見上げた。
一体どれだけあるのだろう…全て魔法の書物なのだろうか?
近くの机に会った一冊を手に取り、積もった埃を手で落とす。
分厚い表紙をめくると、しなやかな文字が躍っていた。
「随分…古い書体ね…」
リナはそう呟くとソファーに座ろうとして…思わずおろしかけた腰を止めた。
ここは魔法がかかってなかったのだろうか…どこもかしこも塵っぽい。
元は赤い布張りのソファーだったと思われるそれは、今は真っ白だ。
「ダメダメ!掃除が先ね!!」
リナは本を元に戻すと、外の井戸へと向かった。
ドアが再び閉じないように椅子を入口に置いておくことも忘れずに。
To be continued...
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