湯につかりながら魔物は、目を閉じた。
傷口はすぐに塞がったものの、こびり付いた血はごわごわとして気持ち悪い。
それらを洗い流しながら、さきほどの侵入者のことを考えていた。
黒衣の何者か。
一つ分かっていること…あれは人間じゃない。
なぜなら匂いを全く感じなかった。
結界の異変を感じ取って、あわてて駆け戻れば…その何者かが妙な術を用いてあの黒い扉を探り当てていたところだった。
魔物に気付いたそれは、銀色のナイフを投げてきた。
魔法の攻撃。
避けて地面に刺さったそれは、水晶の塊みたいになって弾けて消える。
まるで魔物の動きを知っているかのように攻撃は容赦なく、また的確だった。
何者だと吠える魔物に、その侵入者は答えない。
だけど、それが何でも…排除しなくてはいけないことに変わりない。
目的が魔物の縄張りだとしても、命だとしても…渡さない。
あの娘を奪おうと言うのなら、殺すっ!!
「………」
魔物はぐっと気をためると炎を吐いた。
しかしそれはあっさり避けられ、また魔法の攻撃。
いくつかがかすり血があふれる。
ぎりりと奥歯を噛みしめ黒衣の何者かと対峙する。
その時だ。
背後で空間がぐにゃりと曲がった。
「!?」
驚いて振り向いた先で、それまで幻のように揺らめいていた扉がしっかりと姿を現していた。
こいつのしかけた術式が発動していたのだ。
いけない。
侵入を許してはいけない。
この城も、縄張りも、その中で生きる人間達も…守ると約束した。
誰との約束かなんて関係ない。
渡さない。
誰にも触れさせない。
「………」
黒衣のそれが扉に向かって走る。
眩い光のつぶてを目くらましに、魔物の横をすり抜けた。
だめだ。
このままだと彼女を……りなを奪われるっ!!
低いうなり声は大気を震わせ、振動になり扉に向かったそれを弾き飛ばした。
立て続けに魔物が放った炎が黒衣を襲い大きな爆発。
隙を突いて魔物は扉の内側に飛び込んだ。
しつこく追ってこようとするそれに攻撃をするための、炎を吐こうとして硬直した。
りなが扉に向かって走っていく。
時が止まった。
行ってしまう。
自分を置いて…彼女が目の前からいなくなる…
「っ!!」
悲痛な声なき悲鳴。
だけど、逃げなかった。
リナは黒い扉に体当たりすると、小さな体で閉めようと押していた。
目が合った。
大丈夫だと魔物に微笑んで頷いた。
ここにいてくれる。
りなは居なくならない。
目の前から消えたりしない。
中に入り込もうと渦巻く風を炎で蹴散らし、魔物は体当たりで扉を閉めた。
―――― ぴちょん… ――――
色ガラスの丸い天井から、落ちてきた冷たいしずくが鼻先にあたり、魔物はうとうとしていた目を開けた。
身体は先の戦闘で疲れていたけれど、なんだかくすぐったいくらい嬉しかった。
りなはここにいる。
まだ、もうしばらくあの娘の甘い匂いにつつまれていられる。
それを思うと、とてもとても嬉しい。
例え…食べてしまうのだとしても。
娘の胸が大きくやわらかくなったら食べるのだ。
食べたら無くなってしまう。
いなくなる…それは嫌だ。
だけど、食べたい。
ちがう…食べなきゃならない…
魔物は少し苦しくて呻いた。
血のにじみ出ていた傷よりも、ずっとずっと痛い。
心が痛い。
―――― ぴちょん… ――――
再び落ちてきた水滴の音。
魔物はぶるぶると頭を振った。
今はこのことを考えるのはやめよう。どのみちまだ食べごろじゃないのだから。
そういえば…侵入しようとしていた奴が何者だったのだろうか?
アレが何にしても、相当な深手を負ったのは確かだろう。
何故か全く匂いが無かったから…追って止めを刺すのは難しそうだが…
でも…次に現れたら確実に息の根を止める。
「………」
あれは危険だ。
魔物はそう決意すると湯から上がった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さっきのは何だったのだろうか?
突然の戦闘。
爆風と熱と…血のにおい。
リナはスープをかき混ぜながら考えていた。
「…よくわかんないけど、敵…なのよね…」
金色の毛皮が赤く染まって痛々しくて…だけど魔物は謝るのだ。
木苺を採ってこれなかったと。
そんなどうでもいいことを申し訳なさそうに。
人を喰う魔物を恨んでいる何者かの仕業にしても…なんだか腹が立つ。
「…大丈夫かな…あんな状態でお風呂なんか入って…」
傷に染みないのかな?と首をかしげる。
『へいき、痛い、ない』と心配するリナに言って、魔物は湯殿へと姿を消した。
当の魔物が平気と言うのならほかにどうしようもないので、作りかけだった食事を温めているのだ。
せめてお腹いっぱい食べて、元気になってもらいたい。
こんなにも自分が魔物を心配していることが不思議でならなかった。
きっと、片言の言葉だったり、思わずツッコミを入れたくなるような間違った言葉づかいだったり…憎めない部分が多すぎるからそう思うのだろうけれど。
「犬も三日飼えばなんとやら…ってやつねきっと…」
窓の外、芝生の庭のその先の森は…もはやなんの変りも無くそこにある。
黒い扉も見えない。
再び閉ざされ、閉じ込められた籠の鳥。
だけど、もう不快感は感じなかった。
オーブンの中の肉が焼きあがるころ、魔物は湯殿から戻ってきた。
かちかちと大理石の床に当たる爪の音に振り返る。
すっかり、血を洗い流した魔物が何時ものように立っていた。
まるでさっきのあれは夢だったように。
「大丈夫?」
リナが聞くと魔物は大きな体を摺り寄せ、ただ『りな』と呟いた。
いつものように耳の後ろの柔らかな毛を撫でる。
そしてしゃがみ込んでそれの毛をかき分け傷を探した。
魔物は平気と言ったけど、なんだか元気がないように見えたからだ。
だけど…
「…傷…ホントに無い…」
「?」
首をかしげる魔物の腹が、ぐぐぅと鳴った。
「りな、めし、召し上がる」
「え、あ…そうね。食べましょう」
すぐに準備するからとリナは魔物に微笑んだ。
To be continued...
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