人の住む村までは、馬で1日。
薬や書物、布を手に入れようと思うと更に半日馬を走らせ町に行かなければならない。
往復しようと思えば最低でも3日は家を空けることになる。
正直…今彼女の傍を離れるのには抵抗があった。
しかし、これから冬を迎えるのだから準備はしなくてはいけない。
しかも人里から離れた場所に住むと決めたのだから尚更だ。
町の通りを二頭の馬の手綱を引き歩く。
考えていることを読んだように、栗毛の馬が鼻を鳴らし後ろから肩を鼻でひと押し。
思わずよろけて振り返ると、長いまつげと大きな瞳がひたと見据える。
「…お前は本当にあれにそっくりだな…」
雄馬ではあったが、見事な栗毛も気の強さも…彼女にそっくりだとゼルガディスは思った。
大切な人の身代わりとなって魔物の元に送られた彼女がその後どうなったかはわからない。
ただ…町を出たあの日…あとから合流した少女は馬上で気を失い…目を覚ました後はとにかく泣いていた。
森が燃えたことと関係があるのかと聞くと震えた声で彼女の名前を呼んだ。
姉妹のように育った二人。
互いに両親を亡くし、寄り添うように生きてきたことをゼルガディスは知っていた。
別の大きな街に住んでいた彼が二人にあったのは記録的な豪雨の後、土砂で埋まった街道を復旧しに行った時だった。
『おつかれさまです』
そう言って差し出されたお茶を受け取り…目を見開いた。
あの時の衝撃は今でも忘れられない。
生き埋めになっていたところを、たった今…掘り出されたかのように全信泥に汚れているのだからあたりまえだった。
あんぐりと口をあけて見ていると、きょとんと首をかしげ…自分の姿をあらためて見下ろし彼女はパタパタ手を振った。
『あ、こ、これはさっき泥濘で転んだからで…えっと、ちゃんと手とか洗ってますから…』
お茶のことだと思ったようだ。
違うんだと言いかけた耳に、甲高い女の声が響いた…それが彼女だった。
『アメリア!?』
『あ、リナ』
『『あ、リナ』じゃないわよ!?こんなところで何って…ちょっとなんで、そんな泥だらけなのよ!?』
『大丈夫。手は洗ったわ!!』
腰に手を当て自身満々に言う。
…話がズレているとゼルガディスは思ったのだが…どうやら二人の間では通じているらしい。
突然現れた栗色は振り向き、じゃぁ、アンタはさっさと飲みなさい!と湯呑を持ったままだった彼を睨んだ。
道の復旧から、崩れた崖の補強。
流された橋の修繕など…結局1年ほどその町に通い続け…色々あったが想いを伝えることに成功した。
…数えきれないくらい、栗毛の一人と一匹に邪魔されたことも思い出し苦笑するゼルガディスは、不機嫌そうに鼻を鳴らすそれの首筋をぽんぽんと叩いた。
あと必要なものを買いそろえたらすぐに帰ろう。
やはり心配だった。
あの日、森で何があったのか…話してくれたのは10日ほど過ぎたころ。
森の中で打ち捨てられた古い家を見つけそこを修繕して住もうと手直しを始めた後だった。
家と言って屋根も床も朽ち果てて残骸すら残っていない石壁だけの場所。
人が住まなくなって100年…下手をしたらもっとかもしれなかった。
森から木を切り出して屋根を作る。
なんとか一部屋だけ雨風をしのげるようにするのに10日と少し…
その間彼女はただ黙って、慣れない道具を使い切り出した木の枝を落としていた。
久しぶりに屋根の付いた場所で眠る。
次はベッドを作ろうと薄い敷物を敷いただけの土間で隣に横になっている小さな身体を抱き寄せるとその手が強く服を握りしめた。
どうしたのかと問うと…小さな声が漏れる。
なんだか久しぶりに聞く声だった。
森で魔物に会ったこと、彼女を返してほしいと願ったこと…そして…
目を閉じた。
通りの真ん中で立ち止まった彼を迷惑そうに避けて歩く人々。
馬が鼻を鳴らし、足踏みした。
「…そうだな…帰ろう」
まるで、早く帰るぞ。と言いたげなそれ。
途中、布屋で生地と綿を買い込み荷を馬の背に括り付ける。
気難しい馬だから、あの二人以外は乗せない。
だから今日は荷物運びのために連れてきた。
ここまで大人しく付いてきたことさえ奇跡だと、ゼルガディスは思っている。
昼過ぎの太陽を見上げて一呼吸。
もう一頭の馬に乗ると手綱を引いて、彼女の待つ小さな家へと向かった。
笑ってくれればいい。
泣き顔ではなく…笑顔が見たいとそう思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…はぁ…」
森で乾いた木の枝を拾い集めながら、何度目になるかわからない溜息をついた。
心配掛けている。それはわかっているのだ。
しかし、アメリアの心の中には後悔と自責の念が渦巻いていた。
好きな人と一緒にいられる幸せを感じるたび…その思いは強くなる。
魔物は言った。
リナを食べるのだと…だから返せないと。
それでも返してほしいと泣いて頼んだ。
僅かだけど言葉が通じるのならば…この思いも分かってもらえるのだと。
しかし、魔物は恐ろしい唸り声を上げ暴れはじめた。
火を噴き森があっという間に赤く染まる。
地面に座り込んでいた自分を正気に戻したのは、彼女と一緒に取り上げた雄馬だった。
もともと野生の馬だったそれの母馬は、足を汚して茂みに蹲っていた。
罠にかかったのだろう。
細い脚に食い込んだ鉄の鎖が痛々しい。
リナとそれを見つけたアメリアは、暴れ逃げようとするそれをなんとか宥め、治療をした。
お腹が大きくて子供が入っていることは一目瞭然。
互いに家族を早くに亡くしていたから…放っておくことはできなかったのだ。
結局母馬は、仔馬を出産して数日後に息を引き取った。
「…リナ…」
夕暮れの近づく空を木々の間から見上げた。
そう、家族だった。
血のつながりなんて無いけれど大切な人だった。
助けたかった。
あの時…魔物が、リナを返す代わりに自分を食べると言うならば…ゼルガディスには申し訳ないけれど頷いていただろうとアメリアは思った。
生贄に選ばれた時…一緒に逃げようと言われて本当にうれしかった。
そうするべきだとリナも言った。
しかし…町を出る前に…彼はつかまり牢に入れられた。
次に逃げれば、リナを牢に入れ…彼を殺すと言われた。
怖くて悔しくて歯を食いしばった。
そしてあの日…リナは自分が魔物の所に行くと…アメリアを説得した。
心のどこかで安心していたのだ。
リナなら大丈夫だと…今はそのことを酷く後悔している。
足元に落ちていた枯れ枝を拾い、小さな家に戻る。
明日の朝には買出しに出かけた彼が帰ってくるはずだ。
ここのところ、泣き顔以外見せていない。
少し、笑う練習でもしないといけないとアメリアが思った時だ。
木々の隙間に金色が見えた。
「っ!!」
抱えていた薪をその場に放り出し走った。
走りながら、おいついてそれでどうする?という思いもあったけれど…
魔物は小さな泉の傍で尻尾を振りながら木苺を籠に入れていた。
大きな背中を丸め、不器用に実を摘むものだから…大半は潰れてぐちゃぐちゃだ。
困った魔物が小さく唸るように鳴くと、ぴちちと鳥が歌いぱたぱたと空から降りてくる。
木からリスも降りてきた。
そしてあっという間に籠が木苺でいっぱいになる。
それを尻尾を振り振り見ていた魔物は、満足そうに鳴くと、金の木の実を小鳥に、銀の種をリスに与えた。
籠を銜えて立ち去ろうとする背。
アメリアは声を上げた。
「待ってっ!!」
魔物は立ち止ると振り返り不思議そうに首をかしげた。
あぁ、どうしようとアメリアも言葉に詰まった。
何を言えばいいのか分からない。
だけど、どうしても…もう一度確かめたいことがあった。
再び傷を抉るだけだとしても…
「…リナ…」
本当に食べてしまったの?喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
知りたいけど、知りたくない。
今にもその場に座り込んでしまいそうな足を叱咤する。
一歩魔物に近づいた。
魔物は銜えていた籠を地面に置くとアメリアの言葉を待つように見つめてくる。
青い瞳の奥には恐ろしい獣の印象はない。
「…リナはどこにいるの…」
魔物は答えなかった。
もう一度同じ言葉を繰り返す。
リナは何処?と。
魔物がゆっくり口を開くと聞き取りづらい言葉が漏れた。
――― りな、めし、たべる ―――
「っ!?」
目眩がした。
聞かなければ良かったとその場に蹲る。
馬鹿馬鹿と魔物を罵って、正義の鉄槌を下してやりたい。
だけど、力が出ない。
そんなアメリアの前にずいっと押しだされる籠。
中にはたっぷりの木苺。
そういえば、よくリナと森に摘みに行ったことを思い出した。
保存用のジャムを作ったり、ソースにして肉料理に使ったり。
懐かしい記憶はほんの1年前。
だけど今は、遠い昔のようだとアメリアは思った。
魔物は困ったようにおろおろと動き回る。
更に籠を彼女に向って押し出した。
くれると言うのだろうか?
アメリアがそう思っていると魔物は言った。
「え?」
それは、耳を疑う言葉だった。
もう一度言って下さい!と彼女が身を乗り出すより前に…魔物は森の奥に駆け戻って行った。
唖然と遠くなる金色の魔物を見つめていたアメリアの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
――― りな、怒る…でも…これやる。泣くな ―――
To be continued...
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