くんくんと森の匂いを嗅ぐ。
風に乗って届く甘酸っぱい匂い。
頼まれたものを採るために籠を銜えて歩く。
りなが、木苺が欲しいと言っていたから。
何に使うのかは意味が分からなかったが、きっと美味しいものに違いない。
今日の昼飯も美味しかった。
肉は生が一番だと思っていたけれど、りなが作るものは、魔法で用意した料理よりもずっとずっと複雑で優しい味がする。
野菜なんてただの飾りや、口直し程度だと思っていたのに…透き通るようなスープの中でそれぞれ主張していた。
『美味である』
と食事の合間に何度も言うと、コロコロと彼女は笑ってくれた。
人の言葉を覚えて良かったと、この時ばかりはゼロスに感謝したものだ。
そんな日の昼下がり、木苺が欲しいと身振り手振りを入れて彼女が言った。
大きな籠を目の前に、木苺木苺と言う。
『ほしい?キ、イチゴ…?』
首をかしげるとうんうん頷いたので採りに来た。
確かこのあたりに沢山あったはず。
鼻に届く香りを辿っていくと、小さな泉。
その傍に、赤い実をつけるそれがあった。
低い木に絡みつくように沢山。
「………」
これだと手を伸ばす。
ちくちくと生える棘など気にしない。
この籠いっぱい採って帰ったらきっと喜ぶだろうと魔物は尻尾を振った。
りなが喜ぶ。
それだけでなんだか嬉しかった。
だけど、木苺は小さくて柔らかい。
細心の注意を払っていても…潰れてしまう。
困った。
真っ赤に染まった手をぺろりと舐めた。
これでは持って帰れない。
仕方ないので魔物は声を上げた。
ちょっと手伝ってくれないか?という呼びかけにぴちちと小鳥が答えた。
黄金の木の実をくれるなら手伝いましょう、森の王♪
涼やかな声。
あぁ、やろう。と魔物が頷くと小鳥は小さな嘴で器用に木苺を銜えては籠に入れていく。
しかし一羽二羽では籠はなかなかいっぱいにならない。
するとさっきの声を聞いたのか、リスが木から下りてきた。
我らも手伝いましょう森の王♪
見事その入れ物をいっぱいに出来たらば、どうか銀の種をお与えください。
楽しげな声。
よし、やろう。とこれにも魔物は頷いた。
するとリスも加わりあっという間に籠は赤い実でいっぱいになった。
得意げなそれらに、望んでいた通りの物を魔法で出してやると嬉しそうに歌いながら去って行った。
それを見送り、さて城に帰ろうと歩きはじめると「待ってっ!!」と人間の声。
振り向くと、馬と一緒に見かけた娘がいた。
何か言いたそうだ。
魔物は足をとめ、籠を置き娘の顔を見た。
だけど、娘は何も言わない。
首をかしげると、彼女が”りな”と呟いた。
りなはどこにいいるのか…
それ聞いてどうするのだろう?
前にこの娘は、りなを返せと言った。
場所を聞いて奪いに来るのだろうか?
魔物は用心深く探ったが…この人間からはやはり嫌な匂いはしない。
自分に敵意が無いのだから答えても良いだろうと口を開いた。
だけどまだまだ知らない単語が多すぎて、上手く伝えられない。
リナは飯を作ってくれる。木苺を何かにしてたべさせてくれるんだ。
うんうん考えて伝えた言葉だからうまく発音できないものもあって…何故か娘は泣きだした。
何故こんなにも泣くのか。
どうしていいか分からずおろおろと歩きまわる。
娘が言いたいこともあまり理解できていないのだから尚更どうしていいかわからない。
助けてくれ。と声を上げても今度は小鳥もリスも答えてくれない。
地面に座ったままぼんやりと籠いっぱいの木苺を見つめている娘。
魔物は気づいた。
きっと木苺をこんなにたくさん採ってしまったから泣いているのだと。
少し分けてやろうと籠を押し出す。
だけど、娘はそれを見てますます目に涙を溜めた。
きっと足りないのだと思ったので全部やることにした。
りなはきっとガッカリするだろう。
そう思いつつも目の前でこんなにも悲しそうに泣かれるのは嫌だ。
だから言った。
りなはきっと、ガッカリするだろうけど…俺はまた別の場所のを探すからこれはお前にやろう。
だから泣くのはやめろ。
娘が息をのんだ。
どうやら通じたようだとホッとした時だ。
ぴりりと感じる嫌な感じ。
「!?」
顔を上げる。
風が運ぶ匂いが告げた。
誰かが結界を破ろうとしていると。
それは…城を囲む水晶の結界。
後ろで娘が何事か叫んでいたけれど、今は一刻も早く不埒な何物かを排除しなくては。
りなを奪おうと言うなら誰であろうと許さない。
あれは自分が食べるのだ。
柳のように瑞々しい腕も、野を駆ける鹿のようにしなやかな足も、柔らかに育つ予定の胸のお肉も全然部。
誰にも渡さない。
魔物は全速力で森を駆けた。
嵐のような風が森に吹き荒れた…
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふふふん〜〜〜〜♪」
今日の夕食は子羊木苺ソースかけ。
下ごしらえした肉を卵白とハーブを混ぜた塩で包む。
そしてそれをオーブンへ。
リナは出来上がりを想像して満足げに微笑んだ。
後は魔物が採ってきてくれる木苺でソースを作って、焼いて切り分けた肉にかけるだけだ。
残りはすべてジャムにしよう。
これで、スコーンも食べ放題。
早く帰ってこないかな?と何となく芝生の庭のその先を眺めた時だ。
ゆらりと外の景色が揺れた。
リナは目をこすり首をかしげる。
目眩とは違う。
確かに芝生の向こうの森が歪んでいた。
空気がねじ曲がっている…と言った方がわかりやすいかもしれない。
「まさか…」
慌てて外に飛び出すと芝生の庭を突っ切り森の入口へ。
空気は尚も不安定に揺れている。
「…この森…奥に向かっても絶対この庭に出てきてしまうけど…今なら…」
外に出られるのではないだろうか?
よく分からないけど結界と呼ぶべき魔法が不安定なようだ。
逃げるなら今しかないと、一歩踏み出そうとして…何故かリナは城を振り返った。
まだ、お肉が焼けていない。
スープだってもっと煮込んで味を整えないと。
昼に全部食べてしまったからパンも焼かなくては…
逃げられるチャンスだと言うのにそんなことばかり考えてしまう。
それに、自分が逃げたら…魔物はどうするのだろう?
悲しむのだろうか?
それとも、それまでと変わらずまた食事の魔法をかけて一人で過ごすのだろうか?
「………」
迷うと一歩が出ない。
一緒に過ごした日など数えるほどだ。
まだ一月もたっていない。
だけど…なんとなくわかる。
魔物はきっと悲しむ。
寂しがる。
脳裏に、枯れてしまった桃の木を見つめてしょぼんと座り込む金色の獣が浮かんだ。
やっぱり戻ろう。
キッチンに戻って夕食の下ごしらえをしながら、木苺を持って帰ってくる魔物を待とうとリナが森の結界に背を向けた時だった。
ごぅんっっ!!
とけたたましい爆発音が聞こえた。
森の中から…というよりは、薄い膜を隔てたすぐ側から。
目を凝らすと、木々の向こうに黒い扉が見えた。
「…あんなもの…今までなかった…」
嫌な予感。
魔法が弱っているのではない。
誰かが…無理やり入ってこようとしている。
リナは逃げようとする足を無理やり前に…一歩踏み出した。
何かおかしい。
何とかしなくては…
たとえばあの扉にたどり着いて、それで何をすべきなのかはわからない。
もう爆発音は聞こえなかったが空気がピリピリしている。
扉まであと数メートルまで近づいた時だった。
バンっ!!
と音をたてて扉が開き、金色の塊が飛び込んできた。
開いたままの扉の外に向かって青白い閃光を放つ。
炎を吐きだすと熱風がリナの髪を巻きあげた。
「怪我を…」
魔物は所々金色の毛を赤く染めていた。
まさか…町の人たちが魔物狩りを?と首をかしげたかったがそれどころではない。
ふらつく足を踏ん張って入り込もうとする何に攻撃をしているそれ。
リナは覚悟を決めると扉に走った。
「っ!?」
魔物はリナに気がついたのか…悲痛な声を上げる。
もしかたら逃げると思ったのかもしれない。
リナは大丈夫と頷くと、黒い扉に体当たりするように全身で押した。
思った以上に向こう側からの力は強く閉まらない。
まるで…嵐の中逆風に逆らうように傘をさして歩くような…
押し戻されそうになる。
「りなっ!!」
魔物が叫んで突っ込んでくる。
リナは慌てて扉から離れた。
魔物が、体当たりして無理やり閉じるとぴたりと風の唸りも、空気の歪みも止まった。
「もう…へいき…」
ふらりと魔物が立ちあがる。
疲れきっているようだった。
大丈夫?と手を伸ばすと魔物は首を振った。
やはり酷い怪我なのかと心配したのだが…
「キ、イチゴ…すまない…」
しょぼんと尻尾も耳も垂れた魔物がそう言った。
リナは笑って首を振った。
To be continued...
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