夢見る悪魔

【ガウリイ×リナ】





「ごめんな…」

窓から差し込む朝日。
眩しそうに眼を細めながら彼はつぶやいた。
天井に向けられた青い瞳から伝う涙が枕に落ちる。

「謝らないでよ…」

ベッドに横たわったそれの手を強く握り首を振る。
最期の言葉が”ごめん”なんてなんだか嫌だ。
こうなることは最初からわかっていたのに…ガウリイにはどうしようもできないことだと分かっていたのにどうして謝ったりするのか…

「リナ?」

なに?と首をかしげるとそれは手を伸ばしやさしく髪を撫でた。
大きくて頼もしかったそれは、今では細くて血管の浮き出た老人の手。
金色の髪も白く染まっている。

「やく、そく…」

頬に滑り落ちた手はそのままぱたりとベッドに落された。

「………」
「ガウリイ?」

返事はなく…ただ沈黙が痛い。
震える手を伸ばし首筋に触れる。
温もりはまだそこに確かにあるのに…血の流れを感じない。
やがてこの体も冷えて硬くなっていくのだろうか?
ぼんやりとそんなことを思った。

「…さよなら、ガウリイ」

人間というのは脆い生き物だ。
あっという間にその人生を終える。
優しく頬を撫でていると彼の胸のあたりからふわりと光る物が出てきた。
彼の魂。
本来なら、身体から抜け出た魂はすぐに天へと昇るのにそれは動こうとしない。
リナはくすりと笑う。

「行っていいよガウリイ。あたし、まだお腹すいてないの…」
『………』
「早く生まれ変わって来てよ」

彼と交わした契約は、死後その魂をあたしがもらいうけること。
悪魔との契約は絶対だ。
最初はもちろん食べてしまうつもりだった―――









貧困街の片隅で…馬鹿正直に生きる子供。
小さな身体で小銭を稼いで…それすら自分よりも幼い子や動けない年寄りにやってしまうような馬鹿だ。
汚れた街で…決して汚れない魂。
興味を持った。
欲しいと思った。
若く汚れない魂は確かに美味で唾をのんだが、それよりもこの魂が汚れる様を見てみたかった。
人は成長するに従って魂は輝きを失っていく。
きっとこれもそうだと思っていた。
そうでなければおかしいと…そう思っていた。

『………』
『馬鹿ね。倒れるくらいお腹すいてる癖に…大事なパンを野良犬にあげちゃうなんて』

壁に背を預け、汚い路地でうずくまっている少年。
汚れた金色の髪の向こうに、海みたいに青い瞳があった。
かすれた声に乾いた唇。

『…だって、あの犬…』
『お腹に子供がいたわね…』
『うん…』

頷くのも億劫なのか顔を歪める。
金持ち貴族が喜びそうな顔立ち。
人を売り物にする連中なら街中にいるというのに、よく今まで無事だったと思う。

『ねぇ?あたしと契約しない?』

その傍にしゃがみ込み楽しそうに言う。
だけどそれは不思議そうな顔であたしを見るばかり。

『あ、契約って意味わからない?』

聞くとそれはこくんとうなずいた。

『約束って意味よ』
『やくそく?』
『そ』
『…何を、約束すればいいんだ…』

吐息に死臭が混ざっていた。
人には嗅ぎ取れないその匂いに、カラスたちが集まってこちらを見下ろしている。
あたしの獲物なのよ!とそちらを睨むと一斉に飛び立つ音。
気を取り直して微笑むと飴を強請る子供のように無邪気に言った。

『魂をちょうだい』
『たましい?』

どうしてそんなもの欲しいんだ?と聞くそれに悪魔だからよと微笑んだ。
その言葉に驚いた風でもなくただあたしを見る。
そして、ふっと悟ったように笑うと良いよと頷いた。

『…どうせ死ぬんだ。だから勝手に持っていけばいい…』

死んだ人のものはみんなで分け合うのがここの流儀だと彼は言う。
流儀ねぇ…とリナはあきれた声を上げた。
子供の癖になんだか可愛げがない。
貧困街で生きる人間はどれもこれも輝きを失った魂を抱えながらそれでも、貪欲に生きようと足掻くのに…
欲しいと言われれば僅かな食料も金も、自分の命さえも差し出してしまう…
見れば見るほどこの魂は変わっている。

『まぁ、良いわ。じゃぁ契約の印』
『……んっ!?』

唇から生気を送り込む。
驚いたそれが、抵抗しようと腕をつかんだが構わず深く口づける。
悪魔から送り込まれるそれは決して良質なものでは無いけれど死ぬことはないはずだ。
現に腕をつかむ力が徐々に強くなっている。
唇を離すと、赤くなった顔があった。
唇をごしごし擦る。

『なに、するんだっ…』
『ん?だって死にそうだったじゃない?』
『そうだけど…』
『もう平気でしょ?』
『…あ、れ?』

不思議そうに力の入る自分の手を見ている。
そろそろと立ち上がり足で地面を蹴った。
今にも走りだせそうなほど身体が回復していた。
すごいでしょ?と得意げに笑って見せるとそれも大きく頷き微笑んだ。
けれどすぐに首をかしげ…魂食うんじゃなかったのか?とリナを見上げる。

『ん。まぁ最終的には食べるけど今は良いわ。まだ食べ頃じゃないし』
『…食べ頃…』
『それにあんたもっと太った方がいいわ。あたしよりチビなんて…』
『う゛っ』
『せめて男としての魅力がにじみ出るくらいには成長してほしいもんだわ』
『…すぐでかくなってやる…』

悔しそうにそれ。
それにもっと小奇麗にして教育も必要よねと考える。
永遠とも言える長い時を生きる悪魔にとっては暇つぶしの数十年。
気まぐれの人間ごっこ。
けれどなんだか、ワクワクしてきて金色の頭をわしわしと撫で歩きだした。
当然のようにそれも付いてくる。
やっぱり馬鹿なのか…どうやら逃げるという選択肢はないらしい。
普通、悪魔だなんだと聞かされれば逃げるだろう。
しかし、しっかりついてくるそれに迷いはない。

『あ、そういえばあんた名前は?』
『…名前?』
『あたしはリナ。で?あんたは何?』
『………』
『どうしたのよ?』

黙りこくったそれ。
そしてぽつりとつぶやいた。
名前なんて無いと。

『名前無いって…あんた周りになんて呼ばれてたの?』
『…えっと…おひとよしとか、金髪とか』
『あぁ…そう…』
『名前なんて裕福なやつだけが持ってるものじゃないのか?』

拗ねたように聞こえる声は年相応と言うべきか。
リナは笑うともう一度髪をかきまわすように撫でた。

『じゃぁ、あたしが付けてあげる。』

ガウリイ。
呼んで手を伸ばす。一瞬キョトンとした後最高の笑顔。
手をつないで暗い路地から一緒に出た。









「あっという間だったわね…」

拾った子供は、ものすごいスピードで大人になった。
本人の宣言通り背だってあっという間に抜かれて、力も強くなった。
でも魂は相変わらず馬鹿正直に輝いていた。
悪魔のあたしを好きだと言ったそれに抱かれて身が焼ける想いをしたのもつい先日のことのように思う。
愛のこもった行為は悪魔に苦痛を与えることを知らないそれは、毎日嬉しそうに笑っていたけれど…
すべてが懐かしい。
だけど、それは死んでしまった。
目の前に魂だけが浮かんでいる。

「行っていいって言ってるのに…頑固ね」
『………』
「食べられたいの?」

魂がふわりと揺れた。
すっと近づくと唇に触れる。
飲み込んでくれと言わんばかりに入ってこようとするそれ。
リナは固く唇を引き結び顔をそらし、魂を捕まえた。
手の中でガウリイの魂が激しく暴れる。

「ねぇ、ガウリイ…一度交わした契約は絶対だけど…今はホントに食べたくないの」
『………』
「生まれ変わってきてよ。契約は魂と交わしてるから次も必ずあたしにたどり着くから…」

また会えるからと手を離す。
今度はおとなしくそれは天へと消えた。

「行ってらっしゃいガウリイ…」

次に会うのはどれだけ先になるのか…それまでは少し眠っていよう。
共に過ごした数十年…愛されすぎて受けた傷が癒えるまではけっこうかかりそうだ。
目を閉じて、だけどあの金色を思い出し破顔する。

「あぁ、見る夢が幸せすぎて大ダメージだわ…」




Fin

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Odai



2009.09.22 UP