確かめるように手を伸ばす。
薄い皮の下でトクトクと確かに血液が流れていた。
薄暗い部屋の中に浮かび上がる細く白い喉。
ほんの少し力を入れれば折れてしまう…
このまま折ってしまおうか?
心のどこかでそんな馬鹿げたことを考えた。
次の瞬間にはありえないと首を振るのだが…
彼女を失うなど考えられない。
もしそんな未来があるとすれば、そこで俺も終わりだろう。
彼女の死は俺の死。
この光無しに生きていくのは難しい…
呼吸の仕方も、食事の食べ方も、笑い方も、愛し方も…彼女に出会わなければ永遠に知らなかったことだ。
知ることもなく過ぎていったこと…
昔の俺は、人には男がいて女がいて…そんな当たり前のことすら意識したことなど無かった。
そこにあったのは、敵か味方か…ただそれだけ。
大人も子供も関係ない。
依頼があれば始末する。
そうやって生きてきた…
今思えば胸糞悪い。
疑問すら抱くこともなかったあの頃が…
「…ミリーナ…」
指先から感じるかすかな熱は生きている証。
しかし、いつかは止まってしまうもの…
ならいっそ俺の手で…
「…いつまでそうしているの?」
考えを読んだように彼女が声を上げた。
驚いて手を引っ込める。
「…起こしたか?」
「起きない方がどうかしてる…」
「それもそうか…」
こんなふうに現れたことを怒るかと思ったのだが彼女は横になっていた体を起こすと、それで?と首をかしげた。
銀色の髪がさらりと肩からこぼれおちる。
細い手がそれを払う。
『ルーク?』と答えない俺を呼ぶ声は、どこか優しさを含んでいるように感じる。
だから甘えたくなる。
欲しくなる。
彼女の全てが手に入るわけではないのは分かっているけれど…
「なぁ…ミリーナ…」
今日は駄目か?と頬をなでる。
ダメよ。とすぐに答えがあった。
困ったようにちらりと彼女が視線を送るその先を見てあぁ…と声を洩らす。
「…そういえばコイツがいたんだっけか…」
すっかり忘れていた。
忘れるほど印象の薄い奴では無いのに。
あの夢を見たせいだ。
――――暗闇で…俺一人――――
確かめるためにここにきた。
目が覚めて傍に気配がなかったから…彼女がちゃんと…いるかどうか。
別にいつも一緒に眠るわけじゃないけれど、嫌な夢を見た夜は無性に会いたくなる。
いつも以上に傍に近寄りたくなる。
「ルーク?」
「ん、あぁ…なんでもない…」
静かな眼差し、静かな声。
「…にしても…よくコイツもぐーすか寝てられるな…普通起きるだろ」
気配を消しているわけでもなく、小声だがこれだけ近くで会話されて寝ている神経が信じられない。
戦いにおいては鈍い方では無いのに…
枕を抱えて体を丸め眠っている。
毛布に埋もれる栗色の髪。
「…ったくよぉ…気ぃきかせて盗賊いじめにでも行っててくれりゃぁ良いのに…」
ぶちぶち文句を言うと彼女が笑った。
やっぱり笑顔が好きだ。
「何言ってるの…」
「…だってなぁ…」
「それに、今日は抜け出そうとして3回だめだったから諦めたのよ」
「あぁ?」
ガウリイさんに止められたの。とくすくす笑う。
そういえば、ちょこちょこと部屋を出て行ったりしていたが…そういうことか。
剣の手入れをしていたかと思えばおもむろに立ち上がり窓を開け『おい』と声を上げる。
どうしたんだ?と聞けば、別にと笑うだけ。
その後も、風呂に行くと言って部屋を出たはずなのにすぐに戻ってくると剣をつかみ外に出てくると一言告げて行ってしまう。
何をやっているんだ?と疑問に思ったが原因はコレか。
「なんでいつもバレるのかって…散々愚痴をこぼしていたわ」
「はーん…」
「………」
「………」
会話が途切れる。
「………な、なぁ…ミリーナ…」
「何?」
「あ、いや…」
そろそろ部屋に戻ったら?そう言われるのを心のどこかで恐れている。
「夢を…」
「?」
「…嫌な夢をみた…」
「そう…」
「一人なんだ…暗闇に…」
「…そう」
絡み付く闇が足元から徐々に這い上がってくる。
必死にもがいてもそれは過去の無機質な俺自身を見せつけて心を食らう。
何かを求めて伸ばした手は何もつかめず堕ちて…
「ルーク…」
静かに呼ばれる。
青白い顔と、月明かりにやさしく光る銀の髪。
「…ん?」
「少し、散歩に行かない?」
目が冴えてしまったから…と彼女は言ってベッドを下りた。
すたすたとドアに向かう。
行かないの?と振り向く。
悲しいわけではないのに涙が出そうだったなんて言えない…
「ルーク?」
「あ、いや、何でもねぇ。それよりミリーナ!」
「なに?」
「外は冷えるから!!コレ!!」
「…これ、リナさんのマント…」
「減るもんじゃねぇから良いんだって!ほらっ!」
「……ありがと…」
手近にあったそれを掴んで彼女に渡すとその肩に手を回し部屋を出た。
闇の中で一人…
誰もいない闇は紅く…深い。
闇の中で俺は一人。
紅い闇はじわじわ近づく…
それでも目を開けていられるのは…彼女が傍にいてくれるから。
月の光が俺を”人間”でいさせてくれる。
Fin
|