「いってらっしゃい」
森の奥の、険しい崖を上った先にある小さな家。
リナはニコリと笑って俺を見上げた。
月の光が一筋だって届かない新月の晩は麓の町に下りる。
リナが生まれた町だ。
俺一人なら必要のないものも、リナと一緒の生活なら話が違う。
どんどん成長する人間の子供は色々物入りだ。
「新しい服が必要だな…」
「あたし、この服好きだよ?こないだもらったばっかりだし」
不思議そうにリナが見上げる。
「少し、きつくなってきただろ?それに季節も変わるしな。新しいのが必要だ」
「うん…」
「どんな服が良い?色は?」
しゃがんで目の高さを合わせると、リナは困ったように首をかしげた。
栗色の髪が肩からこぼれおちる。
「…ガウリイが選んでくれたのでいい」
少し前まで、『なんで、どうして?』が口癖だったけれど、最近は妙に物分かりがいい。
成長したからかと思ったけれど、街に行くと見かけるリナくらいの年頃の子供はもっと我儘に見えた。
「リナ?」
「…なに?」
「本当に何も言いたいことは無いか?欲しいものは?」
なんで、どうしての質問攻めだったころは一々答えるのが面倒だと思っていたはずなのに…
何も言ってくれず素直に頷くだけのこれを見ていると聞きだしたくなる。
どうやら、俺は随分自分勝手らしい。
リナは本当に途方に暮れたような瞳を俺に向けると、ぷいっと横を向いてしまう。
拗ねたような表情は、彼女らしかった。
「…ない、もん」
「ん?」
「知らないもん…」
「リナ?」
「ガウリイが行く町ってところに何があるか知らないもん…あたしが欲しいって思いつくものは、みんな森で手に入る…」
だから、何もいらない。とリナ。
俺が町から攫ってきて、そろそろ11年。
リナはその間、一度も他の人間に会ったことがない。
切り立った崖の淵から、後ろに広がる深く暗い森。
俺以外では、動物たちが彼女の世界の全てだった。
「ここは嫌か?町で暮らしたい?」
「…え?」
リナが望むなら、連れて行ってやろう。
そういうと、不安そうに『ガウリイも一緒?』と俺を見上げた。
俺は町には住めないと首を振ると、リナの目に涙がたまった。
そして、首にしがみついて声を上げる。
「嫌!!」
「…リナ…」
「あたし、なにもいらない。町のものは何にもいらないから!!」
ここがいい。ガウリイと一緒がいいと泣きだした。
「ごめん。リナ…」
「どこにも行きたくない…よ」
「そうだな。一緒にいよう…この家で」
何度も頷くリナを抱き上げて、小さな頭を撫でた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
獣の足で駆ければあっという間につく町も、人の姿では随分遠い。
まぁ、狩りをしながら下っている所為もあるだろうが。
「あぁ、あんたかい。随分久しぶりだねぇ」
朝もやがまだ通りを包む時刻だが人間は動き出している。
店の準備をしていた、恰幅の良い女が豪快に笑った。
「これいくらで引き取ってくれる?」
「あいよ。見せてみな」
大きな袋ごと渡すと、中を確かめて数を数える。
「兎が6羽に、キジが4羽…それからそっちの…鹿1頭でいいかい?」
担いで持ってきたそれも指差す。
頷くと、ちょっと待ってなと店の奥に消える。
しばらくすると出てきて、お金の詰まった袋を差し出してきた。
それを受け取り首をかしげる。
予想より少し多い。
それを言うと、人間の女は笑った。
「あんたから仕入れた肉だって言うと、町の娘たちに高く売れるんだよ」
「…何か違うのか?普通の肉だと思うが…」
「やだねぇ、それが微妙な乙女心ってもんだよ!」
よく意味が分からない。
リナの服と、日用品を買うと袋の中のお金はわずか。
あと何が必要だろうと考えていた時だ。
鼻に届く甘い匂い。
見れば、半額の値札がついたそれらが店の入り口に並べられていた。
「いらっしゃいませ。チョコレート半額ですよ。いかがですか?」
「甘いのか?」
「えぇ、もちろん」
「…子供はこういうの好きか?」
綺麗な色の紙につつまれた小さな箱。
赤いリボンついたそれを手に取る。
包まれていても分かる甘ったるい香り…
「えぇ。子供も大人も好きな方が多いですよ」
「へー…」
「少し前ですが、チョコレートのイベントがあったんですよ」
人間はぺらぺらと良く喋る。
どうやら、少し前に好きな相手にチョコを渡す日というのがあったらしい。
それはそのときの残りだということだった。
「じゃぁこれを…」
「はい。ありがとうございます」
チョコを受け取り岐路に着く。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昼過ぎに町を出ても、家に付くのは夜遅く。
だけどリナは起きて待っている。
いつもそうだ。
「ただいま」
そう言ってドアをあける。
リナと暮らし始めてから使うようになった言葉。
誰かが家にいると言うのは意外と心地良い。
「ガウリイ、おかえりー」
「また寝ないで待っていたのか?」
「ち、ちがうよ…ねむくなかっただけ…」
少し前なら、笑顔で『うん!』と言っていたのに、最近はつかなくていい嘘を言う。
怒るほどの事でもないので、そうか。と頷き頭を撫でた。
ふと、リナが荷物の一番上にあるそれに気がついた。
綺麗な紙につつまれたそれを手にして匂いを嗅ぐ。
「なんか、あまい匂いがする」
「おみやげだ」
「…たべもの?」
「あぁ。甘い菓子だそうだ」
果物に、蜂蜜と、甘いものに目が無いリナは嬉々として紙を破り箱を開けた。
が…出てきたのは月のように丸くて黒いもの。
困ったようにリナが俺を見上げた。
「ガウリイ…コレ、全然美味しそうに見えない」
「…だな…食うのやめるか?」
「………たべる」
何度も俺と黒いものを見比べて、リナは気合を入れて一つ口に放り込んだ。
確かめるように口の中で何度か転がして…すぐに幸せそうに緩む頬。
一つが結構大きいために、ころころと転がすたび、片方の頬がぽこりと丸く形を変える。
ゆっくりと味わって、口の中からそれが無くなるとリナは、ほぅと息を吐いた。
「旨いか?」
「うん。すごく美味しい!!」
「そうか」
「ガウリイありがと!」
「どういたしまして」
がしがしと頭を撫でると、リナがまた一つそれを手に取り、俺の方に差し出した。
ガウリイにもあげる。と。
「これは、リナへのお土産だから全部食べて良いんだぞ?」
「…うーん…でも、美味しいものは一緒に食べたい」
「そうか」
「ガウリイ、口あけて」
「はいはい」
ポイと口に入れられたそれは、俺には少し甘すぎたけれど、優しい味がした。
Fin
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