「…リナぁ」
「セクハラ禁止」
床に座りベッドを背もたれ代わりにしているそれに手を伸ばすとぴしゃりとそんな言葉が返ってきた。
セクハラとは大げさだと思う。
しょぼんとしてみたところで見向きもしない。
嘘泣きも、リナと二人きりの部屋では意味がない。
夢中になっている魔道書を取り上げようかと思ったけれど、それも大人げない。
結局黙るしかなくて、ベッドに横になり天井を眺めた。
どこの宿も代わり映えのしない…安い板張り。
雨漏り後のシミが顔に見える。
そういえば、子供のころなんかは、あのシミが怖くて眠れなかった。
黒い化け物が飛び出てくるんじゃないかと言うと、じいちゃんは笑った。
『なら、強くなって化け物を斬ってしまえばいい。そのための剣ならあるじゃないか?』
そうだねと笑った昔の自分。
あの頃は何も知らなかった。
化け物は天井のシミに潜んでいるのではなく…手にした光の中にあったことを…
―――惚れた相手の前で、そんな顔するんじゃないわよ―――
いつかどこかで会った、黒髪の女の声が蘇る。
火の付いていない煙草を咥えた不思議な人。
吸わないの?と聞くと、夫と息子が嫌がるから吸わないのだと肩をすくめた。
子供がいることにも驚いたけれど、その子供が一人旅できるくらい大きいことにも驚いた。
もしかしたら長い旅生活のどこかで彼女の息子に会っているのかもしれない。
そう思うと、益々不思議だ。
彼女は今もふらふら旅をしているのだろうか?
それとも、夫の待つ家に帰ったのだろうか?
「………」
おそらく後者だろう。
帰る場所があるというのはうらやましい。
自分を温かく迎えてくれる家族…そういうものを持っている彼女がうらやましい。
「…わたしは…」
自分にはあるだろうか?
そんな場所が。
ちらりと目を向ける。
本を熱心に読むそれの、栗色の髪に手を伸ばす。
触れられることに慣れたのか、それとも諦めたのか…払いのけられることはない。
「ねぇ、リナ?」
「………」
集中しているから、答えは返ってきそうになくて…なんだか悔しくて身を起こし頭に口付けた。
洗った髪の匂いと一緒にリナの匂いがした。
そのままぐりぐりと頬ずりしていると、ようやくリナの意識がこっちを向いた。
「…ガウリイ」
「うん…?」
「邪魔」
「うん。ね、リナ…ちょっと上見て」
「上?」
「そ、天井。リナの真上の」
見てくれたら邪魔しないと言うと、素直に従うリナ。
「あーーー…シミ?」
それが何だと再び本に戻ってしまう前に行動を起こす。
「隙あり!!」
「っ!?」
後ろから顎に両手をかけて少し引っ張り、口付ける。
いきなりのけぞるようになったリナは、首が痛いのか暴れた。
「〜〜〜〜〜〜っ!!」
そのままゆっくり10秒数えた後、ぱっと手を離し解放する。
不意打ちだったからか、真っ赤になったリナが可愛い。
「…ガウリイ…お前…」
「ん?」
リナがぐぐっとスリッパを握った。
「出てけっ!!!!!」
今日も軽い良い音が部屋に響く。
首根っこを掴まれて、思わぬ力でぽいと廊下に出された。
だけど、困る。
今日は宿の都合で一部屋しか取れなかったのだから追い出されたら行く場所がない。
「リナぁ〜入れてよ。もう邪魔しないから」
扉を叩くが『絶対嘘だ!』と声が返ってくる。
これはどうしたものかと腕を組んだ。
だけど…久しぶりに見るかわいらしい反応だ。
最近ではスキンシップが過ぎたのか反応が薄くなって…というか、スレてきていたのだが…
どうやら不意打ちにはまだまだ弱いらしい。
良い発見をしたとニンマリしていると、扉が少し開き…がちゃんと剣が放り出された。
「えーっと…」
もしかして…本格的に追い出されてる?
とりあえず剣束を拾いあげようとして…小さな包みに気がついた。
中をのぞくと銀貨が数枚。
扉のすぐそばでリナの声。
「暇なら酒場で飲んでこい…」
「うーん…」
リナが一緒じゃないならあまり行く気はしないんだけど…と言おうとしてやめる。
なんだかリナの歯切れが悪い。
何か迷っているような微妙な間が空いた後言った。
「あーでも…飲みすぎてドア叩き斬る癖が出る前に……その…帰ってこいよ…」
今日は野宿を覚悟していたけれど、その心配はどうやらなさそうだ。
帰る場所があるというのはうれしい。
すごく、うれしい。
Fin
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