第三会議室

【上司×部下】





恋人同士なんて…そんな単純な関係じゃない。
許されないことと解っているけど…拒めない。
水が無ければ魚は死んでしまうように…彼がいなければあたしは死んでしまう。
既に…そこまで堕ちてしまった。
二度と戻れない光の無い場所に…あたし達は入り込んだのだ。

でも――

「…もう、終わりにしましょう。」

誰も居ない広い会議室。
窓から茜色の光りが差し込む夕暮れ。
シャツのボタンを留め、ネクタイを結びなおしていたそれが…静かにこちらを見下ろした。

「どうしたんだ…急にそんなコト言い出して?」

真っ直ぐな瞳を見ていられなくて、あたしは視線をそらした。
また…胸がざわつく。身体が彼を求める…

「嫌なの…こんな生活。」

この人は…いつか自分の愚かさに気づいて離れていく。
自分の本来いるべき場所に彼は帰って行く。

後戻りできなくなったあたしを残して…

そうなってからでは遅いのだ。何もかも。
だから今のうちに終らせれば良い…まだ、今なら…あたしもやり直せる。
しかし彼は怒ったような低い声で、それは無理だ。と言う。

「俺を欲しいと言ったよな?」
「………。」
「それとも飽きたのか?」

違う。
飽きたのではない…味を占めたのだ。
それは日増しに強くなる。
欲しい欲しいと心と身体が訴え…そうなれば理性ではどうにもできない。
それでも、いつか離れていく彼を思うと悲しくて…今のうちに関係を終らせるべきだと結論付けた。

「ガウリイ…あたし…」

何か言わなくてはと口を開こうとして…できなかった。
肩を捕まれそのまま机の上に押し倒される。
見下ろす瞳が怖いのに…泣きそうなのは彼の方…。

「他の男が良くなった?」
「ちがう…」
「じゃぁ、俺じゃ物足りない?」
「…違う」

それじゃぁ何故?と頬をなでる。

身体が熱い。
押さえていた本能が再び表に出てきた。
そんなあたしの変化に気が付いたのかガウリイは再びネクタイを緩める。
慌ててその手を押さえた。

「ガウリイ、いい…もう、今日はヤメテ…」

首を振るが、彼は駄目だと言うとボタンも外す。
露になった首筋…ごくりと喉が鳴った。

「リナ…」

我慢しなくて良い。と優しい声。
この声に…あたしは抗えない。
…彼の首筋に牙を付きたてた。

「………っ」

昔は…こんなこと無かったのに。
血が欲しい…なんて思ったこと無かった。
ヒトと同じように生きて…そして死んでいくのだと思っていた。
少なくとも彼に会うまでは。






会社の新人研修の時その存在を意識した。
彼の容姿にキャーキャー色めく同期の彼女達とは明らかに違う…。
あたしは血に反応した。
自分の家系にヴァンパイアの血が混ざっていることは幼いころから聞かされていて知っている。
今は、その血も薄れて人と変わりないと聞かされていたのだが…”彼の血が欲しい”と頭の中で声がする。
そんな自分が怖くて、必死に押さえつけた。

…衝動に身をゆだね血を吸えば…楽になれるだろうか?

そんな事をちらりと考える。
今は何を食べても砂を口に含んでいるようで不快だ。
我慢するしか方法がなくて、彼を避けるように仕事をした。


しかし、あの日―――


「悪いな、こんな所に。」

会議の資料を届けて欲しいと言われて三階会議室に入ると彼がいた。
ごくりと喉が鳴る。

「…室長…あの、会議は…」

今すぐここを出ないと…そう思っているのに足が動かない。
彼が近づいてくるのを目で追った。
綺麗な青い瞳…

「ずっと聞こうと思っていたんだが…何故俺を避ける?インバース。」
「…別に、避けてなんて…」
「無い、と?」
「…はい。」

嘘だな。と言って伸びてきた手が頬に触れる。
いつの間にか下を向いていた顔を上げさせられる。

「俺はお前になにかしたか?」
「…いえ…」
「なら、どうして?」
「言えません。」

からからに乾いた喉。今すぐ喰らい付きたいのを押さえて小さく首を振った。
…そうか。と頷いた後、『結構傷付くんだぞ?』と彼。
手の温もりが離れていく…
あたしは反射的にその手を掴んだ。

「インバース?」

ダメっ!と心では叫んでいてももう、本能は押さえられない。

「おい、どうした?」
「………。」

掴んだ手を引き寄せ指をしゃぶる。
驚いて手を引こうとしたが”動かないで”と言ってあたしは続けた。
もう、ダメだ。
理性が崩れ去る。

「お、おい…」
「ねぇ…」

あたしの”お願い”を拒める者はいない…

「…血を頂戴。」
「え…?」
「貴方が欲しいの…」
「っ!?」

返事は待たなかった。
いや、待てなかった…首に手を回し伸び上がって抱きつくように…牙を立てた。
冷静さを取り戻したのは、渇いた喉が潤った頃…。

「………。」
「大丈夫か?」

いつの間にか床に座り込んでいたあたしを心配そうに覗き込む瞳。
瞬間自分が何をしたのか理解した。

「ごめんなさい…っ!」

肩を押しのけるようにして立ち上がると急いで会議室を出た。
終った。
あたしはもう人ではなく…化け物だ。
…この会社にはいられない…。


翌日、退職願を出した。
それを受け取り困ったように首をかしげて、

「…昨日のことを気にしているのか?」

と、抑えた声。周りを気にしてくれているのだろう。
あたしは小さく頷くと、申し訳ありませんと頭を下げた。
一度きりであの吸血衝動が治まったわけじゃない…彼の前にこうして立っていて改めて思う。
そのうちに誰彼構わず喰らい付くかもしれない…それが怖かった。

「…考え直さないか?」
「え…」

何を言っているのだろうか?この上司は。
あんなことをされて何故引き止めるのか…考えていると、場所を変えよう。と言って席を立つ。
その後を大人しく着いて行った。
向かったのは、昨日と同じ会議室。

「………。」
「ここ、空調壊れてて誰も使わないから。ここじゃ…駄目か?」
「え?」

駄目って何が?訳がわからない。そんなあたしに、この上司は驚くことを言った。
血が欲しいならここで俺のを飲めばいい…と。

「な、何言って…」
「いや、だから血が欲しいなら」
そうじゃなくて!…いえ、あの…自分の言っている意味解ってますか?」

解ってるつもりだけど?と言うが信じられない。
変だ。普通…そんなのあり得ない。

「昨日、言ったよな?”俺が欲しい”って…だからやるよ。俺の血全部。」

笑顔で告げられた言葉に寒気が走った。
あたしが言葉にしたからだ。
力を込めた言葉は人を操ることが出来る…あの時の”お願い”をこの人はただ守っているだけだ…
解放してあげなければ…

「”もういい、貴方の血はいらない”」

この言葉で終わり。
だけど、彼は嫌だと首を振った。

「…なんで…」
「これは俺の意思だ…だから…」

――俺の血を吸え――

それはまるで力ある言葉。
あたしはその甘さに酔った。
しかし、酔えば酔うほど…自分が情けなくなる。
血を欲する期間が狭まってきている…今ではほぼ毎日のように彼に喰らいつく。
恐ろしさが日毎積もっていく…。






そして、切り出した別れ。
しかし彼が頷くことはなかった。

もう…戻れない。

あたしは人には戻れない。

「リナ?」

名前を呼ばれてハッとする。
頬を伝う涙。

「ガウリイ…」
「どうした?」
「お願い…やっぱり終わりにして。もうこれ以上…あたしを化け物にしないで…」

ぎゅっとシャツを掴む。
優しく頭をなでてくれる手。
彼の全てに…人として触れたい。

しかし、暗闇に堕ちたのは彼も同じ…

「リナが化け物なら…俺は罪人だろうな…お前が苦しむと解っていて…血を飲ませているんだから。」
「…ガウリイ」
「俺は引き返す気は無いよ。リナ…」

優しい手も、声も、あたしが闇に引き込んだ―――




Fin

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Odai



2008.07.03 UP